2024年7月7日(日)16:00-18:00
H号館 H201

・仮想のイメージとアイデンティティの関係/香川祐葵(大阪大学)
・『フランケンシュタインの花嫁』(1935)におけるヘイズ・コードの影響/川﨑功太郎(関西学院大学)
・ロマン・ポランスキーの『テナント』(1976)における「紋中紋」とミメーシスについて/藍孟昱(創価大学)
【司会】仁井田千絵(京都大学)


仮想のイメージとアイデンティティの関係/香川祐葵(大阪大学)

 アイデンティティは「いま・ここ」にある現実を反映していると考えられがちだが、実際にはしばしば「いま・ここ」とかけ離れたイメージによって形成される。それは、例えば遠く離れた故郷のイメージや過去のイメージである。さらに、そのイメージは必ずしも現実を丁寧に反映していない。移住者の子孫にとって故郷のイメージは、実際にその場所を訪れたことがなくても、多くの場合は祖先が暮らした土地である。また、一般に人々がアイデンティティの基礎とする過去のイメージも、社会的な相互影響によって変質しがちである。
 こうした仮想のイメージによるアイデンティティ形成は、物語、写真、テクストなどを通じて記憶が媒介されることで起こるとされる。かつてベネディクト・アンダーソンは、近代の「国民」というアイデンティティは新聞などの印刷メディアを媒介に形成されると説いたが、近年の研究ではメディア全般があらゆるアイデンティティの形成に影響することが示されてきている。例えば、マリアンヌ・ハーシュは、仮想イメージを実際に体験したかのように感じる現象を、政治的トラウマを経験した世代の子孫に関する研究を基に「ポストメモリー」と呼び、アリソン・ランズバーグは、同様の現象を、映画、写真、博物館などの大衆メディアとの関係から「補綴記憶」と名付けている。さらに、メディア技術の発展や移動手段の向上により、領土性として表現される土地とアイデンティティの関係は、ますます「いま・ここ」の現実と乖離してきている。そうしたなか、現在の私たちのアイデンティティはどこまで現実を反映しているのだろうか。
 このような先行研究を踏まえ、本研究ではアイデンティティが「いま・ここ」の現実と、仮想のイメージの間でどのように形成されるかを分析する。

『フランケンシュタインの花嫁』(1935)におけるヘイズ・コードの影響/川﨑功太郎(関西学院大学)

 『魔神ドラキュラ』(1931)や『狼男』(1941)などをはじめとする、ユニバーサル・スタジオで製作されたホラー映画作品は、「ユニバーサル・モンスターズ」と総称されている。これら作品群の多くは、1930年代から1960年代のハリウッド映画作品における自主検閲規定「ヘイズ・コード」が施行されていた時期に製作されている。そのため現代的観点では、残虐描写や恐怖を煽る演出は少ないと思われるものが多くを占める。
 本発表では、ジェームズ・ホエール監督の『フランケンシュタインの花嫁』(1935)におけるコードの作用を考察する。『フランケンシュタインの花嫁』は、暴力シーンにおけるショットの挿し替えやシーンの大幅なカットが検閲によって行われた。例えば、怪物が市民を溺死させるシーンや、主要人物が新たな人造人間の創造に必要な人間の心臓を手に入れるシーンでは、直接的な描写がカットされ、それらを示唆するような編集が施されている。その結果、当初90分だった上映時間は75分に短縮された。そして、製作者が意図していた物語の残虐性は損なわれ、代わりにユーモア色が強い作品となった。コードに抵触しない表現の中で、製作者たちはこの物語を如何に映像化したのか。本研究では、メアリー・シェリーによる原作小説及びリメイク作品の参照、製作背景の調査、公開当時の批評などをふまえたうえで、コードの影響によって描かれなかったものの、形を変えて写し出された作品内における「恐怖の暗示」を検証する。

ロマン・ポランスキーの『テナント』(1976)における「紋中紋」とミメーシスについて/藍孟昱(創価大学)

 ロマン・ポランスキーの映画『テナント』(1976)は「アパートメント三部作」の最終作と位置づけられる。この三部作は、それぞれロンドン、ニューヨーク、パリを舞台とし、現代都市生活における主人公の心理的葛藤を描いたスリラー映画として知られている。本発表で取り上げる『テナント』は外国人への排斥の問題を考察した作品である。物語の中心には、主人公が新しいマンションに引っ越し、新生活を始めようとするも、部屋の窓の外から視線を感じることによって、以前住んでいた女性の住人の服を身にまとい、最終的にその住人と同じく窓から飛び降りたという出来事がある。主人公の投身自殺によって以前の住人の死の真相も解き明かされるという解釈ができる。映画のストーリミザンセーヌの中に、主人公の物語と以前の住人の物語の入れ子構造、つまり「紋中紋」(Mise en abyme)を見出すことができる。そして、主人公が女性の住人の服を着るなどの表現において、模倣としてのミメーシスだけではなく、ミハイル・ヤンポリスキーが提起する共振としてのミメーシス、つまり身体のデフォルメと「分身」の意味を持つのではないかと考えられる。また、ポランスキーはこの作品でカメラワークを通じて多層的な「まなざし」を構造的に描き出し、神の視点あるいは監視社会をも表現していると解釈できる。本発表では、この映画の物語構造とカメラワークを分析することによって、「紋中紋」およびミメーシスという観点から、観測・監視を意味する「まなざし」とミメーシス的分身の生成との関連性について考察し、その関係性を明らかにすることを目的とする。