2024年7月7日(日)10:00-12:00
H号館 H301

死体の生の承認──テレサ・マルゴレス《クリーニング》を中心にして藤本流位(立命館大学)
家父長制を切り刻む「反-労働」──SCUM Manifesto(『スカム・マニフェスト』、1967年)とフェミニストアートから浜崎史菜(国際基督教大学)
芸術の生きられるシステム──峯村敏明の1970年代美術評論金子智太郎(愛知県立芸術大学)
【司会】星野太(東京大学)


死体の生の承認──テレサ・マルゴレス《クリーニング》を中心にして/藤本流位(立命館大学)

 メキシコ出身の現代美術作家であるテレサ・マルゴレス(Teresa Margolles, 1963-)は、実際の人間の死体を使用し、麻薬戦争の暴力に焦点を当てる作品を発表することで知られている。彼女が2009年にヴェネツィア・ビエンナーレのメキシコ館で発表した作品《クリーニング》は、死体の存在を直接提出することなく、メキシコで起きた殺人事件現場を掃除したボロ切れをモップとする掃除のパフォーマンスである。本発表の目的は、メキシコ麻薬戦争の構造的な暴力を背景として描くことで、この作品が、死体という対象に向けられる人々の倒錯的な眼差しを批判するものだという解釈を提示することである。そこでナンシー・フレイザーが新自由主義経済以降の社会的不正義を議論するために提唱した理論的枠組みである「パースペクティヴ的二元論」を参照する。このフレイザーの理論を参照することによって、マルゴレスの取り扱う死体が、米墨国境線周辺で働く労働者に対する経済的不平等、その労働環境に付随する麻薬カルテルの暴力、その犠牲となった死体に対する人々の好奇の眼差しという三つの社会的不正義を被る存在であることが明らかになる。死体を使用しつつもその表象を不在のものにする、というマルゴレスの実践は、麻薬カルテルが「脅しのためにディスプレイした死体」を刺激的な娯楽として受け取る人々の眼差しを批判するものとなるのである。

家父長制を切り刻む「反-労働」──SCUM Manifesto(『スカム・マニフェスト』、1967年)とフェミニストアートから/浜崎史菜(国際基督教大学)

 本発表は、Valerie SolanasのSCUM Manifesto(『スカム・マニフェスト』、1967年)を「反-労働」をキーワードにフェミニストアートとともに論じる。フェミニストマニフェストとして、出版当時大いに話題となったSCUM Manifestoであるが、暴力的かつ過激とも捉えられる主張により、学術的な検証の蓄積は多いとはいえない。そのため、本発表では、同時代に制作されたフェミニストアートに多く用いられる「切り刻む」表現とSCUM Manifestoの中心に置かれる「切断」(cutting)という身振りに注目をすることで、双方に通底すると発表者が考える「反-労働」の姿勢を論じる。SCUM Manifestoにおいて、Valerie Solanasは、(再生産)労働を、家父長制的資本主義を維持する働きの一部とみなし、男性中心主義的なシステムの解体のための労働の放棄を呼びかけた。同様に、1960年代後半から1970年代のフェミニストアート(Martha RoslerやVALIE EXPORT等の作品)においても、(再生産)労働の拒否がテーマのひとつとして見られる。(再生産)労働を無償化することによって機能する家父長制的資本主義のシステムの秩序を、言説的・視覚的に「切断」(cutting)することで乱すとともに、「反-労働」という身振りにより、積極的に労働を無効化することで、自己を家父長制的資本主義から切り離し(「切断」)している。これらの撹乱的身振りによる(再生産)労働への不参与の呼びかけが、いかに「国家」の機能不全と転覆につながり得るかを論じる。

芸術の生きられるシステム──峯村敏明の1970年代美術評論金子智太郎(愛知県立芸術大学)

 戦後日本美術史研究においてはしばしば、1970年ごろに世に出た美術家の70年代前半の活動が、60年代の動向の批判的継承と考えられる。この世代は反芸術、環境芸術、もの派といった動向を反省しながら受け継ぎ、70年代後半からは絵画と彫刻に立ち返る美術の再構築を始めたとされる。こうした見解とは異なり、70年代を通じてこの世代を論じた美術評論家の峯村敏明は、70年代前半の動向を次の時代の準備と考えた。もの派が60年代からの流れを区切った後に芸術の根本的な再検討がなされ、これが70年代後半からの美術の再構築につながった。このような彼の「ポストもの派」論は、70年代前半を60年代の延長とみなす議論と比較して、同時代の広く詳細な作品論と結びついている。両者のずれは何を意味するのか。
 本発表は峯村敏明による70年代の日本美術評論を再検討し、その傾向や展開を明らかにしようとする。彼が当時の作品に見てとろうとしたのは「生」と「システム」の関係だった。峯村はこの関係を、ウジェーヌ・ミンコフスキーの「生きられる時間」をふまえて、「生きられるシステム」と表現した。そして、彼の議論は「借用されるシステム」から「芸術というシステム」へと重心を移していった。本発表の最終的な目的は、先の二つの見解のずれと、峯村の評論の展開をふまえて、それ以前の延長でもそれ以後の準備でもない、70年代前半の美術に固有の問題を再考することにある。