2024年7月7日(日)13:45-15:45
H号館 H301

・草間彌生はいかにして「ハプニングの女王」になったのか?──マスメディアによる言説に注目して/武澤里映(兵庫県立美術館)
・アーリーン・レイヴンのパブリック・アート批評におけるレズビアン・アート・プロジェクトの影響──『公益の芸術』及び「宣誓」を分析対象として/松本理沙(京都芸術大学)
・グレイソン・ペリー作品における階級の問題──人種とジェンダーへの眼差しを中心として/中嶋彩乃(京都大学)
【コメンテイター】北原恵(大阪大学)
【司会】武澤里映(兵庫県立美術館)

 近年の美術領域では、ポストコロニアル理論、フェミニズム、クィア・スタディーズなどの方法論を用い、白人男性中心主義的な美術史を人種的マイノリティや女性、性的少数者といった観点から批判的に描きなおす試みが盛んになっている。本パネルは人種、ジェンダー、セクシュアリティという観点から周縁化された(あるいはその立場を主張する)「アウトサイダー」を扱いながらも、そこに内在する複雑なポリティクスを描き出すことで、美術史におけるマイノリティ研究自体を問い直すことを目的とする。
 本パネルでは、美術史における白人男性中心主義を問い直すために、アメリカ、日本、イギリスの事例を取り上げる。武澤は1960年代から70年代の草間彌生によるハプニングを分析し、その批評に内在するアジア人女性へのまなざしとそうした批評を基にした草間自身の自己演出の様相を考察する。松本はアメリカの美術史家アーリーン・レイヴンを取り上げ、彼女の1980年代末から90年代半ばにかけてのパブリック・アート批評が、1970年代に行っていたレズビアン・アート・プロジェクトと連関していることを浮かび上がらせる。中嶋は「異性装者の陶芸家」という立場を強調しながら活動する現代美術家グレイソン・ペリーの制作実践における、人種やジェンダーへのまなざしを中心に考察を行う。コメンテーターには美術史におけるジェンダー問題について長年取り組んできた北原を迎え、人種、ジェンダー、セクシュアリティというこれまでの美術史が排除してきた視点を取り入れることで、豊かな議論を開くことを目指す。


草間彌生はいかにして「ハプニングの女王」になったのか?──マスメディアによる言説に注目して/武澤里映(兵庫県立美術館)

 本発表は、草間彌生(1929- )が1960年代末に行っていたハプニングと呼ばれる一連のパフォーマンスにおける、草間のメディア表象と自己演出の関係性を考察するものである。
 60年代後半から70年代初頭にかけて、草間彌生はアメリカ、日本、イギリスの各国で数々の街頭パフォーマンスを行った。それらは草間自身によってハプニングと名指され、多くの場合裸のパフォーマーが数多く参加し、マスメディアによるセンセーショナルな注目を浴びた。この中で草間はしばしば、ただ一人の服を脱がない演者としてパフォーマンスの場に立った。
 このようなヌードパフォーマンスにおける草間の立ち位置は、各国メディアによって「ハプニングの巫女priestes」や「ハプニングの女王」と呼ばれた。他方、その呼称の由来については複数の記述で揺れがあり、その詳細はいまだ明らかではない。さらに、米国では巫女、日本では女王と呼ばれているという差異は、草間のアジア人という人種的影響をも含みうるものである。
 本発表では、一連のヌードパフォーマンスにおける草間独特の立場とそのメディア表象の関連性を考察する。それにより、先行研究にも指摘があるアジア人女性という立場に関する草間の自己演出がこうしたハプニングにも及んでいることを確認し、メディアイメージを巧みに利用する草間の手法を分析する。一連の発表によって、マイノリティについてのメディア表象と当事者自身の表象の利用の双方を分析し、メディアとマイノリティの複層的関係を明らかにする。

アーリーン・レイヴンのパブリック・アート批評におけるレズビアン・アート・プロジェクトの影響──『公益の芸術』及び「宣誓」を分析対象として/松本理沙(京都芸術大学)

 本発表は、アーリーン・レイヴン(1944-2006)による1980年代末から90年代半ばにかけてのパブリック・アート批評の考察を行うことで、彼女が1970年代に行っていたレズビアン・アート・プロジェクトの影響を浮かび上がらせるものである。レイヴンは、ジュディ・シカゴらとともにフェミニスト・スタジオ・ワークショップを設立し、1977年にはレズビアン・アート・プロジェクトを始動させたことで知られるアメリカの美術史家である。このような経歴を持つ彼女は、1989年になると『公益の芸術』、1995年にはエッセイ「宣誓」を発表し、その後のアメリカにおけるパブリック・アート批評に大きな影響を及ぼすこととなる。
 本発表ではまず、パブリック・アート批評におけるフェミニズムやゲイ解放運動からの影響と比較することにより、レイヴンが関わったパブリック・アート批評プロジェクトにおいて、レズビアンのエンパワーメントはほとんど議論されてこなかったことを明らかにする。続いて、コミュニティという概念に依拠することで、レイヴンのパブリック・アート批評が、レズビアン・アート・プロジェクトでの活動と地続きであることを示す。以上の考察から、1980年代末から90年代半ばにかけてのパブリック・アート批評をレズビアンのエンパワーメントという観点から捉え直すことが可能になるだろう。

グレイソン・ペリー作品における階級の問題──人種とジェンダーへの眼差しを中心として/中嶋彩乃(京都大学)

 グレイソン・ペリー(1960- )はエセックスの労働者階級の家庭に生まれ、母親の不倫や継父からの暴力などによる苛烈な少年時代を過ごしたことで知られる。異性装者の陶芸家という、性規範やアートワールドにおけるアウトサイダー的立ち位置も相まって、その実践はジェンダー二元論の否定、さらには規範的な境界の侵犯といった観点から論じられてきた。その一方でペリーの守備一貫しない自己定位と荒唐無稽な発言の端々からは、体制への単純な抵抗としては読み解き難い、規範への迎合が見出されるように思われる。
 本発表ではタペストリー連作《小さな違いの虚栄心》(2012)を例に、ペリーの制作実践が白人異性愛者男性以外の視点を周縁化していることを批判的に検証する。ドキュメンタリー番組「すべて可能な限り趣味よく」(2012)を通じた市井の人々へのリサーチに基づいて制作された本作は、現代イギリスの階級と趣味の関係性を的確に示したことや、既存の階級に基づいた趣味のヒエラルキーへの抵抗としての側面が評価されてきた。その一方で、本作が描くのはペリーの半生を彷彿とさせる白人異性愛者の男性ティムの成功と悲劇を中心とした物語であり、ここにおける階級はジェンダーおよび人種を等閑視しているように思われる。本作における階級への眼差しを作家の男性性に関する言説と合わせて考察することで批判的な視点を投げかけるとともに、そこになお多義的な解釈の余地が残されることの意味を検討したい。