2022年11月12日(土)
午前10:00-12:00

  • ダンサーの存在論と身体的実践の往還──土方巽の舞踏における立ち方に注目して/岡元ひかる(武庫川女子大学)
  • 島岡達三の象嵌縄文に関する考察──「地」としての紋様という観点から/佐々風太(東京工業大学)
  • ハンス・ゼードルマイヤによる大聖堂のイコノロジー/二宮望(京都大学)

司会:岡田温司(京都精華大学)


ダンサーの存在論と身体的実践の往還──土方巽の舞踏における立ち方に注目して/岡元ひかる(武庫川女子大学)

 舞踏家の土方巽が行った仕事は、哲学者ジル・ドゥルーズの生成変化論の生気論的な側面との関わりにおいて論じられてきた。その場合、踊る身体や土方のテクストを、内/外、主/客などの対立項が入れ替わる運動そのものと捉える傾向がある。
 確かに土方はインタビューや随筆のなかで、異なる項が相互に作用するイメージへの関心を示していたが、ここでは必ずしも流動性や連続性が強調されてはいない。例えば70年代前半の彼は、ある二項が互いを「食べあう」運動の只中に出現する、受苦の様相を帯びた場に言及し、さらにその領域を「切羽詰まった」状態で立つ踊り手のイメージへ接続していた。土方はこうして、主体と客体のあいだに生じる緊張を生きる、「識別不可能性」(ドゥルーズ=ガタリ)の領域としての存在を描出した。それは土方によるダンサーの存在論として読むことができる。
 というのも稽古での土方は、弟子たちにさまざまな状況を思い浮かべ、それによって自ら生理反応的・受動的な動きを引き起こすことを求めていたからである。弟子の正朔(せいさく)は、このパラドキシカルな状態に至るためには、足元に体重をかけず自らを「吊る」ように立つことが肝心だと述べていた。本発表では土方の言説、批評、および発表者によるインタビュー資料の分析を通じ、彼が言葉で展開したダンサーの存在論と、身体的実践の往還がいかなるものであったかを明らかにする。

島岡達三の象嵌縄文に関する考察──「地」としての紋様という観点から/佐々風太(東京工業大学)

 陶芸家・島岡達三(1919-2007)は日本の近現代工芸の巨匠の一人として知られている。東京工業大学で学んだ後、民藝運動の指導者であった濱田庄司(1894-1978)に弟子入りして研究を重ね、「象嵌縄文」の創出に至る。象嵌縄文は、朝鮮陶磁器の象嵌技法と縄文土器の施文法を組み合わせたもので、組紐で素地の表面に施した陰刻に化粧土を埋めることで生まれる、島岡独自の紋様である。彼はこの装飾技法によって1996年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 とはいえ、彼に関する学術的な先行研究は質量共に不十分である。本発表では、その作品を特徴づける紋様である「象嵌縄文」の性格について考察することによって、島岡の作陶における「無名性」の問題について明らかにしていく。
 発表者はまず、象嵌縄文の成立過程について、島岡の回想や、当時の濱田の島岡評などを手がかりとしながら確認していく。これにより、象嵌縄文の成立に、「個性」の「無名」化という島岡の問題意識が深く関わっていたことが明らかになる。続いて、島岡作品における、象嵌縄文と赤絵・流し釉といった加飾の関係、すなわち島岡作品における「地」と「図」の関係について考察していく。これにより、島岡が象嵌縄文という紋様をある種の背景(地)として念頭に置いていたことが明らかとなる。以上を踏まえながら発表者は、「無名」なる「個性」という島岡の問題意識と、「地」としての紋様である象嵌縄文の特質の関係性を指摘していく。

ハンス・ゼードルマイヤによる大聖堂のイコノロジー/二宮望(京都大学)

 本発表の目的は、ハンス・ゼードルマイヤ(1896―1984)の大聖堂論を手がかりに20世紀ドイツ語圏で展開された中世受容の一局面を描き出すことである。「構造分析(Strukturanalyse)」という方法論を開拓することで芸術解釈の深化を試みたゼードルマイヤは、1930年代初頭、オットー・ペヒトらとともに「新ウィーン学派」の旗印のもとに注目を浴び、一時美術史学において影響力をもった。
 本発表は、ゼードルマイヤの中世建築研究の集大成とも言うべき『大聖堂の生成』(1950年)の要点を確認することから始める。H.ヤンツェンから引き継いだ「ディアファーンな(半透明な)壁」と、ゼードルマイヤが独自に拵えた「バルダキン(天蓋)」構造をもってゴシック大聖堂の精髄とする大胆な解釈は、これまでの学説を退けるのに充分な新奇さを持ち合わせていたものの、文献解釈の偏りや恣意性など多くの問題を孕んだものとして出版当初から批判の的となった。とりわけ、大聖堂を「模像芸術(abbildende Kunst)」とみなすことで、建築のイコノロジーを目論む彼の企図は不評を買った。
 本発表の意図は、この解釈の妥当性を実証的に検証することではなく、むしろ頑なともみえるゼードルマイヤのゴシック大聖堂解釈に思想史的な角度から注釈を加えることにある。近代への憎悪をむき出しにした彼の『中心の喪失』(1948年)と中世評価との関係、光に対する感応性が前景化した同時代的な美学といった論点から、ゼードルマイヤの大聖堂のイコノロジーに潜むイデオロギーを診断する。