2022年7月3日(日)13:30-15:30
1階110番教室
・オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂの人間像──「メシア哲学の危機」分析/居村匠(秋田公立美術大学)
・エリオ・オイチシカの参加型作品における「組織的な錯乱」と「遊び」/山野井千晶(武蔵野美術大学)
・リジア・クラーク中後期作品における脱物質的オブジェ論/飯沼洋子(京都大学)
【コメンテイター】都留ドゥヴォー恵美里(京都芸術大学)
【司会】原塁(日本学術振興会)
近現代ブラジルの芸術には、敵を食べ自身の血肉としたブラジルインディオの食人慣習を文化的モデルとして見出すことができる。これまでブラジル芸術はこの食人構造、つまり「食べる-食べられる」という主体と客体の二項関係を軸として論じられてきた。しかし、そこには同時に、この二項関係を乱し新たな秩序を打ち立てる「遊び(brinco)」の要素が存在している。
本パネルではこの「遊び」の精神に着眼し、近現代ブラジルの芸術観における食人的姿勢と「遊び」の関連性を共通の問題として掲げ、その諸相を三者の発表から多面的に検討する。まず居村の発表では、オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂの後期論文「メシア哲学の危機」(1950)を分析し、そこで彼が提起した人間像の中心に遊びの概念が存在していることを示す。山野井は、エリオ・オイチシカの参加型作品における「組織的な錯乱」という操作に着目し、それをパブリックな場で行われるプライベートな現象とし、作品《巣》(1970)を中心にその先駆性を考察する。飯沼は、リジア・クラークの《生物学的構造》(1969)を取り上げ、芸術実践や素材における遊びの要素を通じ、主客の融合とオブジェの関係性を再考する。
これら三者の発表を通じ、本パネルが目指すところはブラジルの近現代芸術思想研究に新たな視座をもたらし、その課題と解釈の可能性を広げる点にある。
オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂの人間像──「メシア哲学の危機」分析/居村匠(秋田公立美術大学)
本発表はブラジルの批評家・作家・思想家オズヴァウヂ・ヂ・アンドラーヂ(Oswald de Andrade, 1890-1954)の論文「メシア哲学の危機」(“A Crise da Filosofia Messiânica”, 1950)を分析する。分析を通じて、オズヴァウヂがこの論文で提示した新しい人間のすがたを具体化するとともに、そうした人間像の中心に遊び=芸術が位置づけられていることを明らかにする。
1928年の「食人宣言」で知られるオズヴァウヂの食人の思想は、ブラジル独自の文化や芸術の形成にかかわると考えられている。ただ、オズヴァウヂ自身は晩年、食人の思想を文明論として展開し、新しい社会や人間のかたちを構想してもいる。つまり、オズヴァウヂの思想の意義とその射程を見極めるためには、芸術論に留まらないより広い視点でその著作を検討する必要がある。1950年に教授資格論文として発表された「メシア哲学の危機」は、そのテキストの性格から、オズヴァウヂの晩年の思想の集大成と考えられる。この論文を取りあげることで、オズヴァウヂの思想展開を跡づけたい。
発表では、まず「メシア哲学の危機」の議論を概観し、次なる社会を実現する要因として、オズヴァウヂがテクノロジーの進歩に期待していたことを示す。つぎに、そうした進歩がどのような社会や人間を生むのかを確認する。さいごに、そうした新たな社会における人間像の中心に遊び=芸術の概念があり、オズヴァウヂにとってそれが西洋近代的な個人主義の乗り越えを意味していることを明らかにする。
エリオ・オイチシカの参加型作品における「組織的な錯乱」と「遊び」/山野井千晶(武蔵野美術大学)
本発表はブラジルの芸術家で参加型作品の先駆けとみなされるエリオ・オイチシカ(Hélio Oiticica, 1937-80)の作品、特に作品《エデン》(1969)、《巣》(1970)を取り上げ、参加型作品におけるパブリック性とプライベート性について考察するものである。オイチシカはブラジルの政治情勢の悪化に伴いロンドンに移った後、水、砂、枯れ草、石、毛布、音楽などで満たされた箱を設置した《エデン》を発表した。そしてアメリカに移住後、薄い布で仕切られた二段ベッドのような《巣》をニューヨーク近代美術館にて発表した。そのどちらの作品も鑑賞者が自由に出入りし、寝転んだりして楽しむことができるインスタレーション作品である。これらの作品において、参加者は他者の視線の中でリラックスする、もしくは興奮するといった身体感覚を喚起される。このような現象は、本来パブリックな場で生じることのないプライベートな現象である。公共空間において他者をリラックスへと巻き込んでいく核を生み出すオイチシカの「参加」という形式には、複数の他者の身体を通して個人を没入状態へと導く「組織的な錯乱」が、その特徴として挙げられる。本発表では、この特異な空間に文化人類学および精神分析における「遊び」の諸条件が揃っていることに着目し、同時代および後世の参加型作品と比較し、オイチシカの「参加」がいかなる先駆性、独自性を持つのかを明らかする。
リジア・クラーク中後期作品における脱物質的オブジェ論/飯沼洋子(京都大学)
ブラジルの芸術運動である新具体主義運動の興りに大きな影響を与え、その中心人物として活躍したリジア・クラーク(Lygia Clark, 1920-1988)は、参加者の芸術的経験を重視した参加型実践を提唱し、芸術と生活の融合を目指した。そのためクラークはオブジェとしての作品に価値を見出さず、経験を中心とした作品の脱物質化を推し進めた。これまでのクラークのオブジェ論に関する先行研究において主に取り上げられるのは、絵画から彫刻へと作品が変容する前期作品、新具体主義解散後〈知覚するオブジェ(Sensorial Object)〉と題するオブジェ群を使用した参加型実践が行われた前中期作品、そしてこれらが再び使用された晩年のセラピー型実践《自己の構造化》である。しかしながら参加者の主体と客体の融合化による〈集合的身体〉がよりラディカルに追求された中後期における参加型実践において、オブジェの存在が散見されるにも関わらず、これらについては未だ十分に検討されていない。
本発表ではこれまでの先行研究によるオブジェ論を参照しつつ、クラークの中後期の芸術実践《生物学的構造(Biologic Architecture)》(1969)、《エラスティック・ネット(Elastic net)》(1973)を中心に分析する。作品における消失過程にあるクラークのオブジェを考察することで、それに伴う参加者の身体性と遊びの要素を浮き彫りにし、クラークが目指した共有される経験や身体的コミュニケーションの可能性について明らかにする。