2021年12月4日(土)
午後13:00-15:00
- 1950年代の小津安二郎・成瀬巳喜男監督作品における喫煙シーンと女性像/早川唯(筑波大学)
- 写真を編み直す──写真の経年変化とアルバム化・資料化の一例/榎本千賀子(新潟大学)
- 1990年代の時代劇にみるイレズミ表象とその受容──ドラマ『遠山の金さん』の表現に対する考察/大貫菜穂(京都芸術大学)
司会:滝浪佑紀(立教大学)
1950年代の小津安二郎・成瀬巳喜男監督作品における喫煙シーンと女性像/早川唯(筑波大学)
小津安二郎と成瀬巳喜男は人びとの日常を描いた著名な映画監督であるが、描かれる人間の社会的階級の差異により、その日常にも差異が見られる。ことに女性表象においては、封建的で保守的と指摘される戦後小津映画の女性像に対し、戦後成瀬映画の女性像は主体的という印象を与える傾向にあった。しかし、両監督の作品内の女性の喫煙シーンは、こうした両監督の既存の女性観を反転させうると同時に、二項対立的な女性表象を超越した、同時代の日本社会における女性イメージを反映していると考えられる。
本研究では、小津の『宗方姉妹』(1950)や『お早よう』(1959)、成瀬の『銀座化粧』(1951)や『浮雲』(1955)といった1950年代の両監督作品における女性の喫煙シーンに焦点を当て、劇中の女性の職業や喫煙の場所や喫煙方法、タバコの銘柄や役者に着目することで、彼らが喫煙シーンを通して描いた女性像を検証する。
喫煙する女性表象に着目した先行研究には、とりわけ広告を題材にしたものが多く、例えば舘かおる編『女性とたばこの文化史-ジェンダー規範と表象』(世織書房、2011)では、喫煙する女性は性的イメージ、見られる身体として表象される傾向にあったことが言及されている。本研究では、こうした同時代の女性の喫煙に対する社会的イメージをふまえたうえで、従来、小津と成瀬、それぞれが提示したと考えられてきた女性像の反転と、女性の喫煙シーンがもたらす日常描写への影響関係について論究する
写真を編み直す──写真の経年変化とアルバム化・資料化の一例/榎本千賀子(新潟大学)
私達が日常生活において撮影する膨大な量の写真は、時間の経過とともに撮影時のコンテクストから離れ、その意味内容を変化させる。クラカウアーは「写真」(1927年)において、彼自身の祖母の肖像写真を例に、こうした写真の経年変化について考察し、古びたヴァナキュラー写真が、そこに映し出す対象を、かつての統一性と必然性を失い、いかようにも配列可能な任意の細部に解体されたものとして可視化してしまうことを指摘した。
本発表では、発表者が福島県大沼郡金山町で構築した写真を中心とするコミュニティ・アーカイブ〈かねやま「村の肖像」プロジェクト〉に寄せられた一冊の写真アルバム(渡部章榮写真アルバム)とその資料化プロセスを中心に、ヴァナキュラー写真の経年変化と人びとの応答を考察する。渡部のアルバムには、撮影後数年〜35年を経て記されたキャプションと、撮影後ごく間もない時期に記された写真の裏書きが、その位置づけを大きく違えつつも併存する。キャプション・裏書き間の差異、そして市民の参加を交えて実施した資料化の過程でしばしば見られる固有名詞に対する人びとの強い関心を手がかりに、古びてゆく写真とともに、身近な過去を記述する人びとの日常的実践の一端を明らかにしたい。
本発表の成果は、資料解釈として当該コミュニティ・アーカイブの活動に資するだけでなく、写真を用いた過去記述の実践を具体的事例から捉え直すことによって、ヴァナキュラー写真一般の理解を深める上でも貢献するものとなるだろう。
1990年代の時代劇にみるイレズミ表象とその受容──ドラマ『遠山の金さん』の表現に対する考察/大貫菜穂(京都芸術大学)
江戸時代後期から末期に実在した江戸町奉行・遠山金四郎景元(1972-1855)は、天保の改革による町人への弾圧に抵抗したことを契機に歌舞伎や講談の題材となった人物である。景元の物語は、市井の理解者であり、そのために武家社会において権力を行使するモデルを提示し、みるものにカタルシスを与える作品として上演されてきた。
この物語は、第二次大戦後、東映が片岡千恵蔵を主演に据え12年に渡り上演した映画『いれずみ判官』シリーズが定着して以降、日本社会がテレビ主流の時代に入っても受け継がれた。それは、1970-2010年前後まで約40年間「遠山の金さん」としてお茶の間に提供された連続テレビドラマであり、本数は800話以上にのぼる。以上から、遠山金四郎景元ものは戦後日本におけるイレズミイメージの提示と民衆の受容の様相を明らかにする大きな一要素と位置付けられる。
とりわけ本発表では、松方弘樹主演『名奉行 遠山の金さん』『金さん VS 女ねずみ』(東映製作・テレビ朝日放映、1988-1998年)に着目する。任侠映画の衰退と同時に暴力団対策法が制定され、多様な次元でイレズミと負のイメージが結びつく時世に松方期は開始されたにもかかわらず、10年間で約220本の「金さん」を視聴者に提示した。つまり松方期とは、日本社会において、古きイレズミが翳りを見せる時代と、2000年前後の西洋由来のタトゥー・ピアッシング文化が隆盛する時代との狭間に、視聴者へイレズミとそれを背負うヒーローを時代劇でありながら同時代的な存在として表象し続けたのである。その内実を、ドラマの構造や当時の製作陣の証言をもとに詳らかにする。
司会:滝浪佑紀(立教大学)