日時:2019年7月6日(土)13:30-16:15
場所:稲盛ホール(芝蘭会館本館内2階)

何ごとにも終わりがある。地球にも、ヒトにも、そしてもちろん太陽にも。終わりを拒絶することも(たとえばネオ・リベラリズムによる不老不死の追及)、反対に加速させることも(たとえばグローバルな環境破壊)、終わりとのうまい付き合い方であるように思われない。終わりをいかに想像し思考するか、それは「黙示(アポカリプス)」のテーマと密接に結びついてきたが、この語の本来の意味は「ヴェールを剥ぐこと=啓示」にある。肯定的であれ否定的であれ、期待であれ恐怖であれ、嫌悪するにせよ魅惑されるにせよ、「黙示」は、(とりわけ西洋の)文化・社会・政治に計り知れない影響力をもってきた。「黙示録的無意識」について語ることすらできるかもしれない。「世俗化」の今日においてもそれは、とりわけ映画やサブカルチャーに顕著なように、様々なイデオロギーの乗り物でありつづけている(「アントロポセン」にもまた「黙示」の「世俗化」という側面があるように思われる)。さらに「黙示」において表象は、過剰(炸裂)と不在(消滅)という、両極性をはらんだ逆説的な事態に直面させられる。つまり、アポカリプスと表象とのあいだには、単に外在的ではなくて内在的な関係がある、ということである。哲学・美学から文学・演劇、美術・映画にまたがって、表象の「臍」ともいえる「黙示」について皆さんと考えてみたい。(岡田温司)

郷原佳以(東京大学)
桒山智成(京都大学)
中尾麻伊香(長崎大学)
吉本光宏(早稲田大学)
司会:木下千花(京都大学)
コメンテーター:岡田温司(京都大学)