日時:2019年7月7日(日)10:00-12:00
場所:総合人間学部棟(1102)
・ベルリン・オペレッタの変容──行進曲からレヴュー・オペレッタ、古典のパロディへ/小川佐和子(北海道大学)
・モティーフから音響へ──1920年代のドイツにおける「オリジナル作曲」の変遷/白井史人(名古屋外国語大学)
・「カワウソのもとがわたしの家だった」──ヴァルター・ベンヤミン『1900年ごろのベルリンの幼年時代』における、「住む」こと/田邉恵子(早稲田大学)
【コメンテーター】海老根剛(大阪市立大学)
【司会】香川檀(武蔵大学)
都市は思想や芸術の変化を媒介する土壌であると同時に、作品に描き出され、記録され、想像される対象でもある。世界的なセンセーションを巻き起こした映画『伯林──大都会交響楽』(監督:ヴァルター・ルットマン、1927年)や、激変する1920年代の街景をつぶさに観察し、歴史的重層性のなかで活写したフランツ・ヘッセルの随想『ベルリン散策』(1929年)が示すように、20世紀初頭のベルリンは、リアルな場としてのインフラであるとともに想起の対象ともなりうるという大都市の二重性を強く帯びた街の一つであろう。パリ、ロンドン、ヴィーン、モスクワ、ローマ……など旧来の大都市に対抗して繁栄を遂げたドイツ帝国の都は、第一次世界大戦後にヴァイマル共和国の首都として装いを改め、1933年以降はナチス政権によるファシズムの震源ともなった。
このベルリンという一つの「大都市」は、20世紀の思想や文化の展開にどのような影響を及ぼしたのか──本パネルはこの包括的な問題を共有する3つの発表からなる。それぞれの発表は、音楽学、映画学、演劇学、思想研究などの方法を選択し、ベルリンにおいて、もしくはベルリンをめぐって展開する作品やテクストを論じる。オペレッタ、無声映画伴奏、ベンヤミン思想などの個別の領域の背景に、大都市を生きる群衆と個の、さらには匿名性と作家性との相克が透けて見えよう。都市を媒介に結びつく複数の領域を重ねることで、さまざまなジャンルや手法が混じり合い、多声的に展開する20世紀前半の文化・思想の諸相をあぶり出すことが本パネルの狙いである。
ベルリン・オペレッタの変容──行進曲からレヴュー・オペレッタ、古典のパロディへ/小川佐和子(北海道大学)
映画はその誕生時から、隣接する芸術ジャンル、とりわけ演劇界との人的・技術的・芸術的交流が盛んであった。オペレッタとの関係も映画が「無声」であった19世紀末から築かれ、1930年代以降のトーキー技術普及により「オペレッタ映画」ジャンルが新たに登場するにいたる。ベルリン・オペレッタの嚆矢とされる1899年初演の《月夫人》もその例の一つである。本作の台本作家ハインリヒ・ボルテン=ベッカースは、監督・製作者・脚本家としてヴィルヘルム期ドイツ映画の基礎を作り上げた人物であり、内容的にも同時期のメリエス映画『月世界旅行』と共鳴するSFオペレッタ・ジャンルであった。
第一次大戦後、1920-30年代にかけてのベルリン・オペレッタは、レヴューやジャズ、映画といった大衆娯楽を代表する要素を吸収し、「モダン・オペレッタ」へと変容していく。具体的な現象としては、オペレッタのメロドラマ化、古典オペレッタの新演出、古典オペレッタのレヴュー形式への翻案、新作のレヴュー・オペレッタ、古典オペレッタのパロディとしての新作オペレッタである。来るトーキー映画に向けて、オペレッタはスター発掘の場としても機能していた。本報告では、映画監督エリック・シャレルと、作曲家ラルフ・ベナツキーのコンビによるベルリン大劇場のシリーズを中心に、隣接する娯楽ジャンル間の協働の諸相を整理しつつ、ベルリンにおけるオペレッタの「近代化」の実態を明らかにしていくことである。
モティーフから音響へ──1920年代のドイツにおける「オリジナル作曲」の変遷/白井史人(名古屋外国語大学)
初期映画から1920年代にかけての無声映画館における伴奏音楽は、主として個別の映画館の楽士による既成曲からの選曲で成立していた。製作会社による選曲モデル「キューシート」や、1910年代にイタリアやアメリカなどで始まった特定の映画に対する伴奏譜の作成も、そのような旧来の方法を一変させるには至らない。
本発表が着目するのは、そうした状況のなか、1920年代半ばのドイツで提唱された無声映画伴奏の「改善」や体系化の動きである。大都市の封切館等で活躍する映画館音楽家による特定の作品への付曲──「オリジナル作曲」──が登場した。そこで本発表はまず、ベルリンの封切館ウーファ・パラスト・アム・ツォーにおける伴奏に関して、同館の楽士として演奏に参加していたヴェルナー・リヒャルト・ハイマンによる肯定的評価と、映画音楽専門誌『フィルム・トーン・クンスト』を主とした批判を検討する。続いて、ジュゼッペ・ベッチェによる映画『最後の人』(監督:フリードリヒ・W. ムルナウ、1924年)と、エドムント・マイゼルによる映画『伯林』への伴奏譜を具体的に分析する。モティーフを活用し物語叙述を円滑化するベッチェの技巧と、ノイズ風の表現を都市の記録映像とを同期させるマイゼルの音楽の相違を明らかにするとともに、その背景にある大都市における無声映画伴奏の競争関係にも目を向けていく。
「カワウソのもとがわたしの家だった」──ヴァルター・ベンヤミン『1900年ごろのベルリンの幼年時代』における、「住む」こと/田邉恵子(早稲田大学)
『1900年ごろのベルリンの幼年時代』(1932〜38年執筆、以下『幼年時代』)は、ベンヤミンが故郷ベルリンにまつわる思い出を、各篇1〜5頁でまとめた全30篇から成る回想作品だ。人口が200万人を越え、巨大建造物の建築が進み、自家用車の普及が急速に進んだ当時のベルリンにあって、ベンヤミンのまなざしはこの新興大都市が持つ「居住不可能性Unbewohnbarkeit」(「ロッジア」)に向けられる。
「居住不可能性」とは一方で、「商業のメトロポリス」であるベルリンの「冷ややかさ」であり(準備稿『ベルリン年代記』)、そして他方では、『幼年時代』執筆時のベンヤミンがすでに亡命生活を強いられ、里帰りすることも、ましてや一箇所に「住むこと」ですらかなわない状況に置かれていたことを指していると考えられる。こうした「居住不可能性」に対抗するかのように、『幼年時代』では、「この庭〔ティーアガルテン〕の魔術的な地誌」(「ティーアガルテン」関連資料)や「動物園の目立たない一角」(「カワウソ」)といった、ベルリンが大都市に発展する以前から存在する場所が取り上げられるのだ。
2019年2月に発行された新批判版全集11巻ではじめて公開された草稿や手稿の分析をもととして、ベンヤミンの幼年期回想プロジェクトの全容を明らかとする試みが行われつつある。本発表ではこの新全集版の成果も踏まえながら、大都市ベルリンにおける「住むこと」の可能性/不可能性について考察を加えてみたい。