日時:15:20 - 16:40
場所:山形大学小白川キャンパス 人文社会科学部1号館 205教室

  • 記録写真の不透明さ──ウジェーヌ・アジェの「黒い縁」をめぐって/久保和眞(大阪大学)
  • 歌声聴取と聴診──身体内部にひらかれる音のパースペクティヴ/堀内彩虹(東京大学)

司会:細馬宏通(滋賀県立大学)

記録写真の不透明さ──ウジェーヌ・アジェの「黒い縁」をめぐって
久保和眞(大阪大学)

本発表では、フランス人「写真家」ウジェーヌ・アジェ(1857-1927)の写真群に見られる「黒い縁」について多角的な分析、考察を行うことで、アメリカ写真史におけるアジェの受容の在り方とそこに生じた言説の諸特徴を再検討したい。

1920年代末、アメリカに持ち込まれたアジェのプリントやネガは、ベレニス・アボットをはじめとする多くの写真家に受容され、いわゆる「記録写真」の美学的な価値の向上に大きな貢献を果たすこととなった。従来のアジェの実像をめぐる議論は彼の自伝的な側面を中心に展開してきたが、それもまたアメリカ写真史における「記録写真」の社会的、文化的制度化と密接に関わる問題であることが分かる。とりわけそれは、写真というメディアにおいて「撮影者」がいかに位置づけられ、20世紀初頭に「観察者」の概念がいかに再構成されたかという問題を示唆することとなる。

アジェの多くの写真には彼の用いた大判カメラのフレームが「黒い縁」となって映り込む。例えばアボットはそれを技術史的な文脈で語り、ジョン・シャーカフスキーは形式主義的な解釈を試みたが、「撮影者」の物理的状況を考察するそれらの言説は、近代西欧の「観察者」についての議論の一部を形成している。それぞれの批評と併せてイメージを読むことで、「記録写真」をめぐる言説空間の内部にどのような「観察者」が形成されたのか、アジェのイメージがそこにどのような矛盾を生じさせるのかを検討する。


歌声聴取と聴診──身体内部にひらかれる音のパースペクティヴ
堀内彩虹(東京大学)

医学における聴診とは、身体に聴診器を差し向けて聴く射程を定め、聞こえる複数の音の重なりのなかから聴くべき対象に焦点を絞り、対象の音の質を注意深く聴いた上で、その質が意味するところを知識に照らして判断する一連の行為である。このとき、聴診者は、聴いた音の発生源を身体内部にもとめ、その音を生みだしたと考えられる身体内部の構造や運動をめぐる可視的イメージに結びつけてその音を聴いている。人類学者トム・ライスは、本来、音の存在が意識されない身体内部に音が鳴り響く空間が「見出された」状態を身体のサウンドスケープと呼び、それを可能にする聴診の技能を「聴覚的まなざし(auditory gaze)」と表現する(Rice, 2011)。

本発表では、こうした聴診における音の空間の現れ方が他者の歌声聴取における音の空間の現れ方と共通する性質をもつものであると指摘した上で、その共通点のひとつ、聴く者にとっての音のパースペクティヴが音発生をめぐる可視的イメージとして身体内部において現れる現象をとりあげる。これまでにも音楽聴取が聴診における「探索」的聴き方と似た聴き方をもつことは指摘されてきたが、本発表では、歌声に特化して聴診と比較するとき、そこには他者の身体そのものから直接的に生まれでた音を把握しようとする行為に特有の聴き方が存在することを指摘したい。