日時:10:00 - 12:00
場所:武蔵大学江古田キャンパス8号館5階8502教室

  • 19世紀末フランスにおける音楽演奏の視覚記録化の試みとその思想──音楽の自然科学的図像表象の音楽思想に与える影響についての一考察
    山上揚平(東京藝術大学)
  • アクースマティック音楽再考──1970年代フランソワ・ベイル作品における聴覚イメージの知覚横断性について
    宮木朝子(東京大学)
  • 出来事のノイズ──映画『ポーラX』について
    根本裕道(立教大学)

【司会】福田貴成(首都大学東京)

19世紀末フランスにおける音楽演奏の視覚記録化の試みとその思想──音楽の自然科学的図像表象の音楽思想に与える影響についての一考察
山上揚平(東京藝術大学)

現代音楽文化の根底を支える「録音」技術の始原としてその名が挙げられるE-L. Scott de Martinvilleのフォノトグラフは、それまで束の間の形でしか捉えられなかった音を波形として視覚的に固定し、分析可能な「科学的」図像へと変換する装置であった。聴覚現象を視覚的図像として保存し読み解くという科学的実践の本格的な始まりを告げるこの19世紀後半という時代、やはり同じフランスに於いて、また別様の視覚記録の試みが音楽と科学の境界で行われていた。その一例が鍵盤楽器演奏の記録化である。しかしピアノロールやメログラフとは異なり、演奏再現(=音の再生)から完全に切り離された音楽演奏の視覚記録は果たしてどの様な意義を持ち得るのだろうか。本発表では生理学者E-J. Marey、心理学者A. Binet、音楽家M. Jaëllらの試みを具体的に取り上げ、これらを可能にした共通の技術的条件と共に其々の背後にある学術的文脈の差異をも浮き彫りにしながら、この問題を再検討する。中でも今回特に着目するのは女性作曲家兼ピアニストJaëllが行った指紋によるタッチの記録である。彼女にとってピアニストの残す指紋の連なりは、単なる演奏記録や正しい技術習得のための「科学的」指標を超えて、音楽聴取と同様の美的鑑賞の対象となり、果ては未知なる音楽的法則を読み解くべき啓示の地位を得る。これは、実証科学による音響及び音楽行為の視覚的な表象/図像化が、音楽家側にどのようなフィードバックをもたらし得るのか、その可能性を再考させられる一例となろう。


アクースマティック音楽再考──1970年代フランソワ・ベイル作品における聴覚イメージの知覚横断性について
宮木朝子(東京大学)

1940年代にフランスで開始されたミュージック・コンクレート及び、その発展形である、固定メディアに定着された電子音響音楽=アクースマティック音楽の創作では、外界に存在するあらゆる聴取可能な音響現象が、音楽を構成する素材となりうる。それは、使用する音素材を音律のコントロールが可能ないわゆる楽音のみに限定して発展してきた西洋音楽の歴史の中で大きな転換点ともなる、ノイズへの着目の一連の試みのひとつとして捉えることもできるが、同時に、消滅する振動現象であった音を、録音という技術によって複製反復可能な物質性を持つ存在へと変換する行為を基盤としている。その創始者であるフランスの作曲家フランソワ・ベイル(1932-)の作品の分析結果からは、そこにおける聴覚イメージの知覚横断的性質を見出すことができる。本発表では、「耳のための映画」といわれるこの聴覚メディア芸術、アクースマティック音楽と、その上演システムとしての、視覚遮断の暗闇の空間で多数のスピーカーをリアルタイムに出力コントロールする立体音響システム=「アクースモニウム」による音響投影について、現在の視点からの再考を試みる。その際、最初期である60年代末から70年代にかけてのベイルの作品を、「聴取における自動性と主体性の相互浸透」「ステレオ音像による聴覚イリュージョン」「知覚遮断の空間における多知覚性の出現」の3つのキーワードから検証する。


出来事のノイズ──映画『ポーラ
X』について
根本裕道(立教大学)

本発表は、レオス・カラックスの映画『ポーラX』(1999)の分析を行う。ジル・ドゥルーズの哲学を参照しながら、〈ノイズ〉と〈出来事の非共可能性〉という二つの論点から分析するという方法をとる。

『ポーラX』でスコット・ウォーカーが手がける楽曲のうち、いくつかのインダストリアル・ノイズ調の音楽は、映画の展開において非常に重要なシーンで用いられている。とりわけ『ポーラX』が主人公ピエールの転落や自我の崩壊の物語だと言われるとき、ウォーカーのノイズ・ミュージックはそうした狂気の音響化であると指摘されることが多い。本発表がノイズを論点にする理由は、このような「ノイズ=ノイズ・ミュージック」という図式を批判するためである。映画における音の構成要素としてノイズを見てみると、『ポーラX』ではピエールが執筆作業をしているときに発するペンの音や、ピエールの異母姉と名乗るイザベルという人物の声の方が遥かに際立った特徴を示している。さらにこのようなノイズが、映画における物質的・音響的な側面だけでなく、映画を構成する非物体的な〈出来事〉の次元にも作用していることを指摘する。

カラックスはエンドロールでGilles Dなる人物に謝意を示している。これがドゥルーズであることは容易に想像できる。ノイズと出来事はドゥルーズの『意味の論理学』でも論じられていることを踏まえると、本発表はドゥルーズの概念への参照が中心になる。