日時:2015年11月7日(土)午前10:30-12:00
場所:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE(East 2F-211)
・山本明美(神戸大学)「文学場のハビトゥス-19世紀フランスにおける鏡表象をめぐって-」
・野田茂恵「『新百科全書』―サヴィーニオの私家版百科全書をめぐって―」
司会|石橋正孝(立教大学)
山本明美(神戸大学)「文学場のハビトゥス-19世紀フランスにおける鏡表象をめぐって-」
19世紀フランスの文学場でバルザック(B) らは作者が持つべき鏡は神の眼のような集光鏡、スタンダール(S) は個人の鏡と主張するが、その場合鏡とは自らの内に知覚された外的対象の表象なのか、それとも読者らに示す表象なのか?両作家の見解は作品構築に関わり、自らの小説の主人公に透視力を付与して超人化させ作者の眼の代わりをさせるBにとって個人の能力を超えないSの主人公は不可解である。Sはプラトンとアリストテレスを想像と理性とに同定する。この大要分析はプラトンの想像が神秘思想、唯心論を引き寄せてBらの文芸に流れ込み、アリストテレスの理性はスコラ学に至ってルネサンス芸術の胚芽として機能しSの唯物論的思考を支える二潮流の系譜を概説する。つまり神を中心にする文学場のハビトゥスと向き合ってSは魂の不死説から致命説、神から個人への意識変革を行ったルネサンス、理性の適用を拡大した啓蒙を保持する。無論Sの文芸の拠り所は理性ばかりでなく想像圏にもあり、このうち超自然は入れ子の中で語られる。究極の超自然とは遍在する全知全能の神である。ニーチェが羨むことになる無神論者は作品構成の観念模型を聖ピエトロ大聖堂円蓋の骨格に求め天頂には作者がアポリア的拮抗の間に立ついかなる対比・対話にも神を出現させない。文学場のハビトゥスは彼の鏡論と一体と見るべきエゴチスムの語義に関しても、今日の19世紀フランス霊仏学評論にも絡む。
野田茂恵「『新百科全書』―サヴィーニオの私家版百科全書をめぐって―
ギリシャ生まれのイタリアの作家、アルベルト・サヴィーニオ(1891-1952)は芸術の感性をモダニズムが花開いた20世紀初頭のミュンヘンとパリで培い、音楽家として出発し、その後表現方法を文学に移し、兄デ・キリコの影響で絵画にも専念し、多数の小説や思索的論稿を残した多才なディレッタントである。本発表では、自身の行動と芸術の指針であるディレッタントとしての多義的な洞察眼から生み出されるサヴィーニオの文学の特徴である諧謔性・アイロニーというキーワードを軸に、サヴィーニオの文筆活動の成熟期に書かれた散文形式のテキスト『新百科全書』(Nuova Enciclopedia)に焦点を当て、サヴィーニオの文学の特異性について考える。『新百科全書』の草稿となるテキストは1940年代前半にイタリアの新聞に掲載され、「悲劇」・「愛」・「ロマン主義」・「オルフェウス」といった抽象的概念から歴史や神話の人物名まで204からなる項目がアルファベット順に列挙され、それぞれに主観的な定義、訓戒といった形の短文が付されている。サヴィーニオは、広大な世界の隅々まで厳格に組織化しようとする百科全書的な知識を「閉じた知識」と批判し、虚構の物語の形式、風刺的エッセイ、文学作品に関する小論文形式の批評文といった百科全書では用いられない自由な形式によって百科全書の一項目に折りたたまれた世界の知識からははみだしてしまった個人的な記憶、語義の両義性を浮かび上がらせるようとする。