日時:2015年7月5日(日) 10:00-12:00
会場:早稲田大学戸山キャンパス32号館1階128教室

パネル概要
「Les immatériaux(非物質的なものたち)」とは、哲学者ジャン゠フランソワ・リオタールが共同企画し、1985年にポンピドゥー・センターで開催された展覧会のタイトルである。芸術作品が、さまざまな科学的イメージ、そして工業製品やポピュラー・カルチャーなどと無差別に並置され、定まった順路のない会場を鑑賞者は無線レシーバーを装着して歩きまわる、という構成のこの展覧会は、芸術と科学技術の関係を問う大規模な展覧会として大きな話題を呼び、現在ではメディア・アートの先駆的な展覧会として言及されることも多い。タイトルが示唆している通り、本展覧会は、後期資本主義社会における情報技術の浸透とともに、私たちの生活の大きな部分を占めるようになりつつある非物質的な次元を批判的に考察するものであり、この点において、今日ますます大きな意義を持つようになってきていると捉えることができるだろう。
 本パネルでは、本展覧会を歴史的に回顧し、リオタールの哲学の文脈において再考するとともに(星野)、サイバネティクスや情報理論、ポストヒューマニズムの系譜のなかで批判的に読解し(原島)、さらに、芸術と科学の関係を問う今日的な試みへとどのように展開しうるかを検討したい(奥本)。そのことによって、本展覧会の再読を、開催から30年経過した現在の状況を問う生産的な議論へと結びつけていくことが本パネルの目的である。

星野太(東京大学)
誰が「非物質化」を恐れているのか──リオタールとLes immatériaux

本発表の目的は、1985年に開催されたLes immatériauxの意義および背景を、その前後に発表されたリオタールのテクストを手がかりにしつつ詳らかにすることである。20世紀後半の先端科学と情報技術の発展を重要なモティーフとする同展では、リオタールがその6年前に発表した『ポストモダンの条件』(1979)が明示的な参照項とされていた。だが、その展覧会のタイトルにも含まれている「(非)物質」という概念を理解する上では、むしろ1980年代に発表されたリオタールの芸術論にこそ照準が合わせられるべきだろう。後に『非人間的なもの』(1988)や『ポストモダンの寓話』(1993)などにまとめられるこの時期のリオタールのテクストには、「崇高」「インファンス」「非人間的なもの」などとともに、「物質(matière)」や「非物質的なもの(l’immatériel)」というキーワードが重要な局面においてたびたび登場する。本発表では、以上のような複数の著作から「(非)物質」をめぐる議論を抽出することで、Les immatériauxそのものにおいては前景化されていなかった同展の理論的基盤をリオタールの哲学に即して探り出すことにしたい。それによって本発表が示そうとするのは、リオタールが同時代文化における「非物質化」というプロセスに見ていた──肯定的および否定的な──二重の側面である。

原島大輔(東京大学)
非物質的物質──Les immatériauxと情報技術環境

本発表では、Les immatériaux展の意義をいまあらためて考察するにあたって、「非物質的なものたち」を、ポスト物質や脱物質として理解するよりは、物質的なるものの理解を問い直す創造的な行為=思考として意味をつくりだすことを提案したい。それは、実体や項およびそれらのあいだの関係を客観的に脱物体化したり数値化したり目的をもって効率的に制御することではなく、環境の拘束のなかで自律的に自己創造する活動としての身体の非物質的物質性である。こうした両義性がサイバネティクスや情報通信理論から抜け落ちていることは繰り返し指摘されてきたが、今日のグローバルな情報技術環境においても依然としてこれが見過ごされがちな状況は続いている。実際、「非物質的なものたち」は、その後30年間で地球規模のネットワークを形成するにいたったが、それは、非物質的物質としてではなく、表象的で指示的で計算的で論理実証主義的なデータやオブジェクトとしてだけではなかったか。Les immatériaux展は、この世界のその後30年間の展開の萌芽であったと言えるが、その進歩のなかに穏やかにおさまりながらも、しかし、いまなおいっそう批判的な問いを投げかけ続けている。本発表は、非物質的物質についての近年の思考のいくつかを補助線にしながら、現行の情報技術環境をとらえなおす問いかけとしてのLes immatériaux展の読解を試みる。

奥本素子(京都大学)
アートと科学コミュニケーション

科学技術の進歩により、自然科学はますます専門性を増し、その活動内容は難解になっていく。他方で、その活動の規模の巨大化により、国の援助なしには進行しないという状況に陥る。その結果、国民への科学活動への啓蒙が熱心に行なわれるようになり、それを科学コミュニケーションと言う。科学コミュニケーションとアートとの関係は1960年代まで遡る。原爆の父と呼ばれた物理学者オッペンハイマーが1969年にシカゴに建設した科学館、エクスプロラトリウムでは、アートを用いて科学を体験することを目指している。科学館側にとってアートはあくまでも啓蒙に用いるツールであり、アートの指摘するポストモダニズム的価値観が科学に反映されることはなかった。
しかし近年、自然科学の世界における文化的要素の影響が認識され始め、ようやく自然科学の世界にもポストモダニズム的発想が取り入れられるようになった。また、近年の科学に対する不信感を受け、科学への支持を得るためには啓蒙活動のみでは限界があるということも指摘されるようになる。そのようななか、アートが自然科学にどう向き合い、自然科学はアートの視点を自分たちの活動にどう反映していくのかを、自然科学の側も検討する時期を迎えている。本発表では、科学コミュニケーションにおけるアートの活用を感性的側面から検討した事例を紹介する。