新刊紹介

浦雅春ほか(訳)
コンスタンチン・スタニスラフスキー『俳優の仕事 第1部——俳優教育システム』
未来社、2008年06月

スタニスラフスキーの俳優教育がロシア語からの翻訳で読めるようになった。なんだか原典重視の瑣末な議論に聞こえかねないが、ことはそんなちっぽけな問題ではない。

これまで流布してきた山田肇訳『俳優修業』は英語からの重訳。山田訳に特段の問題はないのだが、もとのハプグッドの英訳があまりにも杜撰だった。誤訳や脱落、恣意的な言い換えなど問題含みだったのである。スタニスラフスキー・システムは誤解されているという風評がたえないが、その責任の大半はこの英訳にあった。2008年スタニスラフスキー研究の第一人者であるベネディッティが70年ぶりに改訳を出したのもそのためだ。これと歩調を合わせたわけではないが、わが国でもようやく新版の出版にこぎ着けた。

旧英語版とロシア語原典の異同をあげつらっていたらきりがないので、ここでは一点をあげるにとどめる。たとえば、原典第二章の冒頭ちかくに、「われわれの言う役を生きる芸術の大きな柱のひとつは、〈俳優の意識的な心理操作術を通じた人間の自然による無意識の創造〉(意識から無意識へ、意志を介して意志に左右されざるものへ)ということになる」という一節がある。スタニスラフスキー・システムの根幹を示す一節だが、旧版にはこの箇所がさっぱり見当たらないのだ。あとは推して知るべし。

スタニスラフスキーが俳優術で迫ろうとしたのは俳優の無意識をいかに統御するかという問題だったが、1930年代のソ連でフロイトの名前を出すのは御法度だった。委曲をつくした役作りの記述とは裏腹に、本質を記述する彼の筆が難渋をきわめるのはそのためだ。だから新版はけっして読みやすくはない。中味が濃いのだから仕方ない。

それにしても今年、岩波文庫版の『芸術におけるわが生涯』、ベネディッティ『スタニスラフスキー入門』(松本永実子訳)、『俳優の仕事』と関連図書の出版が相次いだ。ようやくスタニスラフスキーとじっくり向き合う態勢が整ったというべきか。

近く『メイエルホリド 演劇の革命』も拙訳で出ます。そちらのほうも、よろしく……。(浦雅春)