研究ノート 奥村大介

聖なる放射能、恋する放射能
――核の文化論のために
奥村大介

3 現代日本の放射能文化

だから、放射線や放射性物質が危険である/ないという見方では、放射能というものを捉えきることはできない。相半ばする恐怖と魅惑。危うさが高まるほどに昂揚感はいや増す。危険性/安全性といった判断を一旦離れて、文化として放射能を捉えることで見えてくるものがあるはずである ※3

では、文化のなかで放射能の魅惑はどのように現れてきたのか。あらゆるジャンルを網羅的にというわけにはいかないので、試みに映画を例にとって、その様相の一端を見てみよう ※4。福島の原発事故が起きて以来、放射能を描いた新旧の映画の上映される機会が多くなった。古典的旧作、2011年以降に作られた新作、劇映画、ドキュメンタリー、いずれも膨大な数にのぼり、〈核映画〉とでも呼ぶべき巨大なジャンルを形成している。それらのなかには、反核運動の色彩が強いドキュメンタリーや教育映画もあれば、国策としての原子力推進を目的とし、輝かしい原発の未来を描いた科学啓蒙的な映画もある。そこまで露骨に図式的ではなく映像的な語りの妙や巧みな諧謔によって傑作たりえている映画も多いのだが、そうだとしても、放射能の危険論/安全論に比較的きれいに対応する形で分類できそうな作品が多数を占めることは間違いないであろう。そのいずれともつかない映画、つまり原発や核兵器の危険を描くでも原子力の約束する明るい未来を高らかに讃えるでもない、放射能の不気味な魅力であったり、うっかり心を奪われてしまいそうな或る種の美しさを描き出したものというと、実はそう多くはない。数少ない例として、例えばキューブリック監督『博士の異常な愛情』(1964年)のストレンジラヴ博士が示す水爆愛、長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』(1979年)の主人公が放射性物質に抱く自己破壊的なフェティシスム、タルコフスキー監督『ストーカー』(1979年)における聖別 = 汚染された立入禁止区域などに、聖性や愛の映画的形象として放射能のイメージを認めることができるだろう。これらはいずれも基本的に、オットーのいわゆる「途方もないもの」「不気味なもの」としての放射能イメージが前景に置かれている。力に溢れる、あえていえば「男性的な」放射能の美学に貫かれている。そうではない形の放射能の魅惑というものはないのか。しいていうなら「女性的な」美学の放射能というものは……(むろん、その担い手が生物学的に女性であるかどうかは重要な問題ではない)。

ここでは、核や放射能を文化としてとらえて調査し、そこから新たな文化を紡ぎ出している現代日本の人物として、小林エリカの名を挙げておきたい。小説、漫画、写真、映像、造形美術など、きわめて多種の表現形態・ジャンルに及ぶ作品を数多く発表している、この恐ろしく多才なアーティストのことは、いまさら紹介的に書くには及ばないだろう。小林は原子核や放射能というテーマだけで創作をしているわけではないが、10代の終わりに発表したデビュー作が『爆弾娘の憂鬱 恋の放射能』というアニメーションであることからもうかがえるとおり、一貫して放射能への関心をもち、独自の調査研究を続けてきたという。彼女はこれまでの作品にもみられる〈日記〉や〈年表〉という形式への愛着、自身の出自を遡及して作品に組み入れる〈家系〉への関心など、いわば〈時間の物質化〉のテーマ系に、放射能を取り入れ、漫画『光の子ども(1)』(リトルモア、2013年)、小説『マダム・キュリーと朝食を』(集英社、2014年、芥川賞候補作)などを発表し、2014年の個展「彼女は鏡の中を覗きこむ」では戦前に日本の核兵器開発に携わった化学者・飯盛里安(1885-1982)をモチーフにした作品を展示していた。これらの小林の創作は、放射能をめぐる人類の歴史の禍々しい側面だけではなく、小林の言い方を引くならば「美しい宝石に向かってどうしても手を伸ばしてしまう」ような放射能のもつ魅惑をとらえようとして紡ぎだされ、またそこに新たな魅惑を接ぎ木する。そこに満たされているのは、放射能の恐怖というより、傑出した美と憂愁である。そして〈時間の物質化〉は、数千年、数万年にわたって生命を保つ放射性物質によって無限へと接近し、いわば時間のテーマはロマン化される。彼女がとらえる放射能は、巨大なエネルギー――原爆の破壊力や大電力を生み出す原発、それを手中に収めた者のもつ政治的権力――に憧れる〈力への意志〉とは異なる。かのマリ・キュリー(Marie Curie, 1867-1934)が、苦心して単離した塩化ラジウムの結晶が放つ蒼白い光に憧れ、「妖精の光」と呼んで慈しんだような、憧れの先に輝いているものの性質。それが生命を決定的に蝕むものだとしても、死の圏域にあるからこそなおいっそう聖性を帯びてしまうもの。そんな幻惑を、単調な耽美ではなく、彼女が〈アウシュヴィッツ〉※5 や〈アフガニスタン空爆〉※6 を語ったのと同じ痛みや不条理の感覚を生々しく伴って、語り、描く。これは、およそ100年の歴史をもつ放射能の文化的形象のなかでも、奇跡のような価値をもっている。

小林は放射能をめぐる作品をつくるのに先立って、例えばマリ・キュリーの直筆ノートを大学図書館で閲覧したり、学会誌に掲載された放射線の歴史についての論文を調査したりしている(彼女はもともと大学院での研究歴があり、研究者との交流も多い)。作家が創作のために資料調査をしたり取材に出かけたりするのは常だが、彼女の場合、それが創作のためというより、研究すること自体に価値があって行なっているという印象を受ける。彼女はいわば〈リサーチするアーティスト〉である。小林はインタヴューのなかで、たとえば放射能について「知りたい」のだということを強調する。〈作品をつくるために知る〉ということ以上に、この世界に生まれてきて、この世界のことを〈知るために作品をつくる〉。それが彼女のクリエイションなのではないか。

もうひとり、注目すべき活動をしている人物のことを参照しておきたい。放射能、原子爆弾、原子力発電その他、核をめぐる一連の文化を「核文化」、英語圏でatomic culture、あるいはnuclear cultureと呼ぶ場合がある ※7。日本では、福島の原発事故以前から長年にわたって原子核のイメージに関する歴史研究を行なってきた科学史家の中尾麻伊香が、この分野の前線で意欲的な仕事をしている。中尾の研究は、戦中の日本でいち早く原子爆弾の情報を得た人々が、いまだ世界に出現していないこの未知の兵器の姿をさまざまに想像していたことを、当時の科学雑誌やSFのなかに探り ※8、あるいはマリ・キュリーが20世紀の初頭に発見したラジウムが当初或る種の万能薬のように健康効果のあるものとして欧米で医用・薬用に利用されており大正期の日本でもそれが温泉・湯治の文化と結びついて〈ラジウム温泉〉として広く人気を集め日本の近代化過程のなかに特異な位置価を占めたことを解明するものである ※9。中尾はこうした核文化を歴史的に調査し、学術的な論攷や口演として発表することと並行し、自らも核文化の実作者として、映画『よみがえる京大サイクロトロン』(2008年)を監督している。これは戦中に日本が行なっていた核開発の遺品――GHQによってすべて廃棄されたはずのサイクロトロンの部品の一部――が京都大学の博物館で発見された経緯、そしてなぜそれが残されていたのかという謎を追ったドキュメンタリーである。現在のところ私たちがこの作品に触れる機会は大学等での上映会が中心となるため若干の誤解を受ける可能性があるが、この映画は単なる学術調査の記録映像ではなく、映画として、質の高いエンターテインメントたりうる作品に仕上がっている。それは〈反原子力〉の文脈を背負った映画がときに――原子力推進の啓蒙映画の鏡像としてなかば必然的に――有してしまう救いがたいまでの美的感覚の欠如の対極にあり、映画内在的な美しさと真摯な現実把握、そしておそらくは作者の人となりの反映であろう、或る種の心地よい脱力感と軽妙さを観る者に与える傑作である。

中尾は、科学者によって生み出されたテクストや図像のみならず、大衆文化のなかに流通した、科学者でない人々による言説をも取り入れて、核の表象を歴史的に研究してきた来歴をもつ。いわばアカデミー内外の歴史を交互に見ながら調査を続けてきた研究者である。その研究対象の性格ゆえか、学術的なリサーチの成果を学界内に問うだけではなく、それをクリエイションに結実させ、多くの人々にとどけようとする新しいスタイルの研究者=創作者の姿がここにある。この、恐らくは現今のアカデミーのなかでそれなりに困難の多い企てに中尾を導いているものもまた、放射能の魅惑ではないかといったら、彼女はどう応じるだろうか。少なくとも中尾が心血を注ぐ研究から浮かび上がる放射能の像もまた、危険/安全といった判断に直結するものではなく、原子核の秘めた巨怪なる力によって人を昂揚させるていのものでもないことは間違いない。それは、日本の挫折した――というよりはもともと成功する見込みがなかった――原爆計画であったり、観光地の放射能温泉で土産物として売られている〈ラジウム玉子〉であったりと、どこか苦笑をさそうような放射能のイメージなのである。

ところで、さきにオットーの「聖なるもの」の概念規定で捉えうるような放射能のイメージとは異なる、いわば「女性的な」放射能という言い方をした。そして、それが実際の生物学的女性とは別段積極的な関係をもたないことも附記した。にもかかわらず、いま挙げた現代日本における〈核文化〉の重要な担い手二人が女性であることはひとまず措くとしても、核の歴史には女性の姿がつねに見え隠れする。小林も『光の子ども』のあとに書きたいものとして「マリ・キュリーはじめその娘のイレーヌやエーヴ、〈原爆の母〉と名指されたリーゼ・マイトナー、それから一方でラジウムのペイントの工場で働き被曝したラジウム・ガールズたち、“放射能”にまつわる女たちのこと」と語っているが ※10、原子核の放射性崩壊を示すときの術語で、崩壊前を親核種(parent nuclide)、崩壊後を娘核種(daughter nuclide)と呼んだり、広島に原爆を投下した爆撃機の名称が機長であるティベッツ大佐の母親エノラ・ゲイ・ティベッツ(Enola Gay Tibbets)からとられ、その機体が原爆〈リトル・ボーイ〉を投下するという出産のメタファーとなっていたりすることには ※11、妙に感じ入るものがある。あたかも放射能は歴史上、女性を選んで自らの姿を見せてきたかのようだ。放射能は女たちに恋をしているのか。彼女たちが放射能に恋をしているのか。

4 核言説の半減期に

はじめに述べた私自身の放射能への関心に戻ろう。小林や中尾が放射能に示す興味の在り処と私のその所在は、恐らく同じではない。多くの人が放射線や放射性物質に曝されることを危惧しているのに、こともあろうに人体が放射線を出すなどという(現在では科学的に誤りであったとみなされる)学説を古い書物のなかからわざわざ見つけてきて紹介するなど、福島の原発事故をはじめとする被曝者、広島・長崎・ビキニ環礁などで曝露した放射線により命を落とし、あるいは今も後遺症に苛まれる被曝者たちのことを思えば、これは不謹慎だということになるかもしれない。だが一言しておこう。少なくとも福島の原発事故に関していえば、あの日から現在に至るまで東京に居住し、直接高線量・高濃度の放射線・放射性物質に暴露していない私もまた、事故直後に都内でも急上昇した空間線量のなかで生活し、少なくとも一時期は事故以前より放射性物質を多く含んだ食品や飲料水を摂取せざるをえなかった点において、被曝の当事者である。そして福島第一原発は高濃度の汚染水を排出しつづけ、燃料棒そのものさえも原子炉外に溶融露出している可能性があるということは、日本国民の大部分が今現在も被曝者であり、将来いっそう深刻な被曝をする可能性が充分にあるということを意味する。その意味で、私の視点は非当事者が「対岸の火事」的に楽しんでいるのとは決定的に異なる。私とて現実の危機をいまだ脱していない原発が真に「コントロールされた」状態を得て、事故が収束に向かうことを心底願っている。そのために考えなければならないのは、この事故が戦後長らく続いた一定の政治状況が生み出した結果、つまり私たちの意思が生み出した事態であるということだ。このことに今さら絶望していても状況は変わらない。状況を変えるためには意思のあり方を変えるしかない。かつての原子力政策が喧伝した原発のつくる明るい未来にしても、それを紋切型で批判する言説にしても、この対立構造を福島の原発事故の後もなお基本的な姿を変えぬままに存続させているという、いわば意識の自動症をわずかでも治療すること。そのためには紋切型の善/悪や安全/危険で放射能を捉える習いと手を切ることであろう。〈生体放射〉という、いわば放射能概念の畸形=怪物のようなものを私が科学史の残滓から引き出してきて、わざわざあの時期に紹介したのも、そのためのよすがであった。かつて言われた〈核時代〉が間違いなく新たな――冷戦時代とは別種の深刻さをもった――フェイズに入っている現在、放射能言説をより複雑に異化する文化を生み出すこと。それは、事態がいささかも活路を見いだせていないにもかかわらず、いつしか核言論の〈半減期〉を迎えてしまった3.11後の文化論にできる数少ないことであろう ※12

関連リンク

謝辞
本稿の執筆にあたって、文中に言及した小林エリカ氏の発言(公的な場でなされたものから、いくつかの機会に個人的にうかがったものまで)に重要な示唆を得ている。また、中尾麻伊香氏との長年にわたる研究上の交流からは多くの着想の源泉を得ており、私を小林氏に引き合わせてくださったのも中尾氏であった。両氏に心より御礼を申し上げる。本稿は科研費(課題番号10J05482、14J09575)による研究成果の一部である。

奥村大介(東京大学)

[脚注]

※3 武田徹『「核」論:鉄腕アトムと原発事故のあいだ』(勁草書房、2002年。中公文庫、2006年。増補版=『私たちはこうして「原発大国」を選んだ』中公新書ラクレ、2011年)は、原発の推進派/反対派が互いに「囚人のジレンマ」的な両すくみの状況を作り出し、戦後の原発政策が固定されたことなどを論証している点で、二元的価値判断を脱した優れた著作である。ただし、文化表象への言及は、それを主たる目的とした本ではないので限定的。

※4 X線や原子爆弾といった放射線の問題系を映画と結びつけ、可視的なるもの/不可視なるものをめぐる独特の文化論を展開した重要文献に、Akira Mizuta Lippit, Atomic Light (Shadow Optics), Minneapolis, University of Minnesota Press, 2005(リピット水田堯『原子の光(影の光学)』、門林岳史・明知隼二訳、月曜社、2013年)がある。原子爆弾に材を得た文学の創作・研究・批評の膨大な蓄積があることは言うまでもなく、最近出たものでは、集英社の叢書《戦争と文学》の第19巻『ヒロシマ・ナガサキ』(成田龍一解説、2011年)が優れたアンソロジーである。現代美術ならば、例えば椹木野依『後美術論』(美術出版社、2015年)は東日本大震災を跨いで連載された評論をまとめた著作で、原発事故の色を濃厚に反映している。震災直後といってよい2011年9月11日に刊行された論集、笠井潔・巽孝之監修『3・11の未来:日本・SF・創造力』(作品社)もまた文化として放射能をみる観点からも重要な論攷を含む。

※5 小林エリカ『親愛なるキティーたちへ』リトルモア、2011年。

※6 小林エリカ『空爆の日に会いましょう』マガジンハウス、2002年。

※7 たとえば次の文献を参照。Scott C. Zeman and Michael A. Amundson (eds.), Atomic Culture: How We Learned to Stop Worrying and Love the Bomb, Boulder, University Press of Colorado, 2004. 言うまでもなく、この論集の副題は、先述のキューブリック映画(原題Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb)を引いている。

※8 Maika Nakao, “The Image of the Atomic Bomb in Japan before Hiroshima”, Historia Scientiarum, 19 (2), pp. 119-131, Dec 2009.

※9 中尾麻伊香「近代化を抱擁する温泉:大正期のラジウム温泉ブームにおける放射線医学の役割」、『科学史研究』、268、pp. 187-199, 2013年12月。

※10 小林エリカ「『光の子ども』刊行記念インタビュー」(聞き手・構成=トミヤマユキコ)

※11 金森修『科学の危機』集英社新書、2015年、pp. 70-71。

※12 放射性物質に必ずしも限定せず、〈物質〉という観点から私なりに3.11後の文化論を試みたのが拙稿「ささめく物質──物活論について」(『現代思想』、2014年1月号、青土社)であった。

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