新刊紹介 翻訳 『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』

郷原佳以(ほか共訳)
クリストフ・ビダン(著)
『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』
水声社、2014年12月

1998年の刊行以来、ブランショおよびその周辺に関わる研究に大きな変化をもたらした「ブランショ伝」の翻訳である。原書で600ページを超えるという分量に加え、著者クリストフ・ビダンの文章に研究者ならではの独特の文体があるため──と言い訳させていただくが──、共訳作業を始めてから15年近い年月が経ってしまい、日本のブランショ読者に原書刊行時の衝撃がどれほど伝わるものかどうかは心もとないが、ともあれ、本書がブランショに関心を持つ者にとって不可欠な一書であることは確かである。

なぜ、不可欠なのか。それは、本書以前の「ブランショ」があまりにミステリアスな存在だったからである。居住地は言うまでもなく、生年月日も生地も、姿形さえ不明であり、人々はそうしたことについて想像することしかできず、ブランショの文学理論に照らし合わせればそれ以上のことを知ろうとすることはタブーなのだとみなされた。その不可解さは「ブランショ(Blanchot)」という名前が想起させる「白さ(blancheur)」という言葉と結びつけられもした。そのような受容状況のなかで、30年代にブランショが執筆していた記事の極右的性格を暴こうとする者たちが出てきたとき、神格化が一挙に誹謗中傷へと反転することはありえないことではなかった。

クリストフ・ビダンは1980-90年代の一連のブランショ攻撃の流れを見て、ブランショを脱神話化させる必要性を痛感したのだろう。しかし、その完璧主義にはただ驚くしかない。というのも本書は、ブランショの生に関わる事柄を両親の出生から始めてマニアックなまでに調べ尽くしており、その細かさは脱神話化というレベルを超えているのだ。読者とすれば、だから、本書の出現によって極端から極端へと揺り動かされたわけである。

細部まで調べ尽くされたのは、もちろん、私生活に関わる事柄だけではない。ビダンは本書のために、入手困難だったものも含め、ブランショの雑誌発表記事を網羅的に調査した。巻末の著作目録は圧巻である。研究者にとってとりわけ有益なのは、執筆、出版に関わる経緯や背後にある同時代の著作や人々──ポーラン、マスコロ、アンテルム、バタイユ、レヴィナス、デリダ、等々──との関係が明らかになったことである。ブランショは大学人でもなければ小説のみを発表する作家でもなく、基本的には月刊誌に文芸時評やエッセイを寄せる批評家であり、その活動は時代に密着したものだった。ブランショのテクストに近づこうとするなら、単行本の論集からはわからない雑誌初出時の状況を知ることは肝要である。

本書はまた伝記でありながら「ブランショ論」でもある。それぞれの著作をめぐる章ではブランショ研究者としての著者の本領が遺憾なく発揮されている。本書の場合には、だから、テクストの背後にある事実関係を知るにとどまらず、緻密なテクスト読解によるその検証を読むこともできる。伝記でありながら、専門家による浩瀚な研究書として長らく参照され続けている、この点で本書は他の作家・思想家の伝記から一線を画している。(郷原佳以)

郷原佳以(ほか共訳)クリストフ・ビダン(著)『モーリス・ブランショ 不可視のパートナー』