新刊紹介 翻訳 『獣と主権者I』

郷原佳以(ほか共訳)
ジャック・デリダ『獣と主権者I』
白水社、2014年11月

全43巻におよぶデリダ講義録集成の第一弾として2008年に刊行された、社会科学高等研究院(EHESS)での2001-2002年度セミネール原稿の翻訳である。EHESSでは1991年以来、「責任=応答可能性」という大テーマのもとに様々なテーマが論じられていたが、前年度までの「死刑」に続くテーマとして2001年度からのテーマに選ばれたのが「獣と主権者」だった。2003年度はデリダの体調不良のためセミネールは行われず、2004年にはデリダが亡くなったため、これが最後のセミネールのテーマとなった。訳者のうち3名はこのセミネールに出席しており、本書を読み翻訳することは、10年前の満員の階段教室に戻り、ときおり甲高い声を上げながら語るデリダの姿を眼の前に描きながら、そこで語られたことを改めて文字によって辿り直す作業だった。

「獣と主権者〔La bête et le souverain〕」というテーマにおいてまず注意しなければならないのは、これがフランス語では音声上、「獣は主権者である〔La bête est le souverain〕」とも聞き取れるということである。セミネールは当然ながら口頭で行われるので、デリダは各回の冒頭で、「獣」と「主権者」という名詞の性差を強調すると当時に、etとestの同音異義を聞き取らせるような仕方でこの語句/文を発音していた。2001年12月12日から2002年3月27日までの全13回のセミネールを通して、「獣と主権者/獣は主権者である」はテーマであると共に通奏低音として響く命題だった。

「獣は主権者である」とは、では、どういうことか。このセミネールが開始されたのが2001年12月、つまり「9.11」の3ヶ月後という緊迫した世界情勢のなかであったことに留意する必要がある。前年度までの「死刑」も暗黙のうちに米国の死刑執行状況を踏まえたものだったが、「獣と主権者」でまず念頭に置かれていたのも、自らが自分の敵とみなすものを「獣」、「ならず者国家」と呼んで対テロ戦争に踏み込んでゆく米国の「主権者」としての振る舞いである。主権者は一方で、米国がそうであるように、獣の上位に、かつその対蹠点に自らを置くが、他方で、法の適用に関して自らを例外とすることにおいて、法の外に位置する獣と相通じている。「獣は主権者である」という隠れた命題が暗示しているのはこの構造である。

この構造は、本セミネールを通して繰り返し聞かれるもう一つのフレーズによって皮肉なほど的確に戯画化されている。すなわち、ラ・フォンテーヌの寓話「狼と子羊」における狼の言葉、「最強者の理屈はつねに最良である」である。この明らかな屁理屈が、しかし、自らを獣ではないと強弁する主権者の理性なき理性に他ならない。デリダは本セミネールの前半において、ホッブズ、ルソー、シュミット等の検討を通して、この寓話における狼の理屈が実は主権者の存立根拠となっていることを暴いてゆく。法外なものが法を支えているという構造は、しかし、デリダにおいて新しいものではなく、すでに『法の力』(1990)でベンヤミンをめぐって暴力の問いとして考察され、前年度までの死刑論セミネールでも追究されていたものである。この問いはさらに、2002年6月の「来たるべき民主主義」シンポジウムの講演で展開され、著書『ならず者』(2003)に結実することになる。

このように政治的含意を帯びて開始された本セミネールだが、法外なものによって支えられるものとしての「法」や「主権」の問いがきわめて幅広い射程をもつ以上、それが一見政治とは無関係とも思える刺激的な議論へと展開してゆくのも不思議なことではない。本セミネールの興趣の一つは、ドゥルーズ、ラカン、アガンベンという、これまであまり正面から取り上げられてこなかった同時代の思想家との対決が見られることである(3、4、5、12回)──このうちアガンベンとの対決に関しては言いがかりに近いとの声も聞かれるが。

もう一つは、刺激的という次元を超えて笑いを堪ええないような仕方で、主権者の「愚かさ」が証されることである(6~8回)。「獣」とはフランス語で「愚かな」という意味でもあり、獣=主権者は「愚かな者」でもあるのだ。ではなぜ主権者は愚かなのか。それは、主権者を構成するはずの自律性が、自動人形あるいは制御不可能な勃起男根の自動性と区別できないからである。「自律性=自動性」、これは本セミネールにおける主権の脱構築の白眉であり、翌年度セミネールの『ロビンソン・クルーソー』論や『ならず者』にもつながってゆく決定的な命題である。本セミネールで愚かな主権者の典型的形象として提示されたのはヴァレリーの「ムッシュー・テスト」だが、デリダに解体されるテスト氏はいかにも哀れである。

かくして『獣と主権者Ⅰ』は、主権者がいかに自らの自己定義の反対物によって構成されているものであるかを多様な観点から浮き彫りにする著作であり、政治的、哲学的、文学的、美学的、等々、読者の各々の関心と絡めて読むことができると同時に、上に一端を示したように、他のデリダの著作との関係においても読まれるべき著作である。(郷原佳以)

郷原佳以(ほか共訳)
ジャック・デリダ『獣と主権者I』