研究ノート 阪本裕文

スーパーインポーズと再帰性:マイケル・スノウ再考ノート
阪本裕文

マイケル・スノウ(Michael Snow)は映画だけでなく、彫刻、絵画、写真、ホログラム、ヴィデオ、サウンドアート、そしてフリージャズ/フリーインプロヴィゼーションのピアノ奏者としての活動に至るまで、様々なメディウムを通して制作を行ってきた、器用かつ多才な芸術家として知られる。彼はこの秋にサウンド・ライブ・トーキョーでのコンサート ※1のため、原美術館での個展以来となる再来日を果たし、トークイベント(11月3日|ICC「音楽/サウンド/アートの向こう側」※2)と、二日間のフリーインプロヴィゼーションのコンサート(11月5日〜6日|渋谷WWW ※3)、そして『波長(Wavelength)』および『Back and Forth』上映後のティーチイン(11月7日|イメージフォーラム・シネマテーク)を行った。この文章は、それらのイベントを切っ掛けにスノウの仕事を再考した、手短かなノートである。

スノウの1967年の映画作品である『波長』は、構造映画の代表的な作品として知られるが、それは実験映画の範疇にとどまらず、映画のメディウムを検討する上での参照点として、議論の俎上にあげられるだけの潜在的な批評性を有している。ロザリンド・クラウスは『北海航行──ポストメディウム的状況の時代における芸術』(A Voyage on the North Sea: Art in the Age of the Post-Medium Condition, 1999)の中で、『波長』について言及したうえで、構造映画を複合的な技術的支持体として捉え直す観点を提示した。この複合的なメディウム観はある種の再帰的構造を備えており、それは古畑の指摘する通りモダニスト的な思考によって着想されたものだといえる ※4。このアイデアは同論で述べられたことの一部に過ぎないが、それでも既存の実験映画の言説にはないような観点を、私たちに提供するものであったといえる。このアイデアを敷衍するならば、『波長』だけではない様々な実験映画を、再帰性を備えた技術の集まりとして、別の位相において捉え直すことが可能ではないかと考えるのが、筆者の基本的な観点である。

さて、実験映画という狭い領域でのトピックに留まるかもしれないが、このようにして提起された観点を、敢えてマルセル・ブロータース(Marcel Broodthaers)ではなく、スノウの仕事のなかに引き戻すとすれば——すなわちスノウの他の作品に、この観点を適用するならば——どのようなことが指摘できるだろうか。

まず、『波長』について述べる。本作を特徴付けるものは、何よりも45分間のズームによって束ねられた、空間内の様々な事象の並列化であることは言うまでもない。この作品の舞台となるロフトでは、1:作品冒頭での棚の搬入、2:レコードを聴きながら会話する二人の女性、3:激しく争うようなフレーム外のサウンドと、その直後にフレームインして床に倒れこむ男性、4:横たわる男性を目にして電話をかける女性といった、一連のストーリーが進行してゆく。しかし、カメラの動きはそのような事象を一顧だにせず、壁に貼られた一枚の写真に向かって前進してゆき、最終的にカメラのフレームは、写真のフレーム(海のイメージ)に同一化する。本作はこのようにして、カメラの運動とフレームに関わる諸機能を前景化させた映画であるといえるが、先述の観点から重要になってくるのは、この映画のなかに組み込まれた再帰性の様相であろう。では、本作のなかにある再帰性とは何か。それはA:レンズの前に掲げられた手持ちのカラーフィルターによる色調変化と、B:時間を混在させるスーパーインポーズによって引き起こされる重層化として表れる。ズームによるカメラの前進は、映画の中に直線的な構造を生じさせる。しかし、先述のABの操作は、ズームによる直線的な持続を寸断し、あるいは引き戻し、その構造を解体するものとして働く。特にBのスーパーインポーズの使用は、過去の時間(過去の事象)を、まるで亡霊のように直線的な持続のなかに呼び戻すことによって、その再帰性を、「現在と過去の相互関係」※5 として顕在化させる役割を果たしていると言える(例えば4の電話をかける女性のイメージは、女性が立ち去った直後に再来する)。そして、この方法は『波長』だけでなく『Back and Forth』(1969)、『WVLNT: Wavelength For Those Who Don't Have the Time』(2003)、『Sshtoorrty』(2005)といった作品の中でも追求されてゆく ※6

『Back and Forth』は、冒頭から開始される激しく左右を往復するパン、そして30分を越えた辺りから開始される上下を激しく往復するティルトによって、カメラの運動とフレームに関わる諸機能を明らかにする作品である(ちなみに、このカメラの運動というテーマは『波長』、『Back and Forth』、『La Région Centrale』(1971)の三作品に共通するものである)。さて、本作における再帰性はどのようにして表れるのか。それは本編ではなく、本編終了のクレジットが表示された後に突如開始される、5分程度の奇妙なセクションにおいて顕在化することになる。このセクションでは、先ほどまでの40分超にも及ぶカメラの運動が呼び戻され、スーパーインポーズによって判別し難いほどに重層化される(スノウはこのスーパーインポーズを、直前に見た映画の “looking back” または “memories” と喩える ※7)。これもまた観客の意識内における「現在と過去の相互関係」を直接的に表現したものであり、ここに本作の再帰的構造が集約されていると言えよう。

そして、『Back and Forth』の最後のセクションの再帰的構造を全面的に展開した作品が、『WVLNT』および『Sshtoorrty』となる。『WVLNT』は45分間の長さを持つオリジナルの『波長』を素材として分割し、レイヤーとして重ね合わせた15分のDVD作品 ※8である。スノウはこれを『波長』のヴィデオ視聴のためのヴァージョンであると述べるが、この改変からは、スノウが映画上映とヴィデオ機器での視聴について、両者の質的な違いをどのように捉えているのかが伺えて興味深い。それは、映画上映の場において『波長』を観ることで得られる経験と記憶を、質的に同一のものとしてヴィデオ機器で再現するならば、このような構造を選択せざるを得ないということだろう。一方、『Sshtoorrty』は劇映画的な演技によるストーリー展開のあるドラマを、スーパーインポーズによって重層化したヴィデオ作品であり、映像だけでなく字幕までもが重ね合わされている。これもやはり『波長』と『Back and Forth』の延長線上に布置することができよう。

このように、スノウの映画の中に度々現れるスーパーインポーズを、再帰性を備えた技術として見なすならば、私たちはスノウの映画を別の拡がりにおいて捉えることも可能となる ※9。ここまでの記述は、あくまでスノウの映画において、ポストメディウム的な観点の適用を試みるものであった。他のフィルムメーカーの実験映画についての適用を試みるならば、また別の切り口が必要となるだろう。それはフィルムからデジタルへの移行期において、デジタルシネマのなかに、これまでの実験映画の非物質的なレベルでの様々な試みを移行させる道筋を示すものとなり得るはずだ。

阪本裕文(稚内北星学園大学)

[脚注]

※1 http://www.soundlivetokyo.com/2014/snow_onda_licht.html

※2 HIVEのウェブサイトでトークの録画が視聴できる。
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20141103
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20141103_2
http://hive.ntticc.or.jp/contents/artist_talk/20141103_3

※3 恩田晃とアラン・リクト(Alan Licht)とのトリオによる。この三者は2000年代より共演を重ねており、『Five A's, Two C's, One D, One E, Two H's, Three I's, One K, Three L's, One M, Three N's, Two O's, One S, One T, One W』(Les Disques VICTO, 2008)を発表している。

※4 古畑百合子「プレ・メディウム的条件──拡張映画とニューメディア論」
http://repre.org/repre/vol21/post-museum-art/note01

※5 マイケル・スノウのステートメントによる。|マイケル・スノウ「アーチスト ステートメント」、原美術館編『マイケル・スノウ展』所収、原美術館、1988、pp.20-23

※6 スーパーインポーズではないが、『*Corpus Callosum』(2002)の終盤における高速巻き戻しも、再帰的なものとして見なすことが可能だろう。

※7 筆者が2014年11月から12月にかけて行った、マイケル・スノウへのメールインタビューによる。

※8 『WVLNT: Wavelength For Those Who Don't Have the Time』(Art Metropole, 2003)

※9 付け加えるならば、諸々のメディウムを横断しながら「歩く女性」というモチーフを変換して見せた初期の『Walking Woman』シリーズや、写真作品にも、ここで述べたトピックに関わる側面があると筆者は考える。『Walking Woman』シリーズについては、次のカタログを参照のこと。|Michael Snow: Biographie Of The Walking Woman, Exhibitions International, 2005

Wavelength(1967)

Wavelength(1967)

Back and Forth(1969)

Back and Forth(1969)

WVLNT(2003)

WVLNT(2003)

Sshtoorrty(2005)

Sshtoorrty(2005)

このページの全ての画像はマイケル・スノウ氏より無償使用の許諾を得た。
© Michael Snow