第9回研究発表集会報告 関連企画3:トーク・イベント:海外で日本の「アニメ」はどう見られているのか?

第9回研究発表集会報告:関連企画3:トーク・イベント:海外で日本の「アニメ」はどう見られているのか?|難波純也(東京大学)

2014年11月9日(日) 15:00-16:30
新潟市マンガの家

関連企画3:トーク・イベント:海外で日本の「アニメ」はどう見られているのか?(新潟市マンガの家との共催)

出演:アレックス・ザルテン(ハーバード大学)、キム・ジュニアン(新潟大学)

研究集会翌日には関連企画として、新潟市マンガの家にてアレックス・ザルテン氏(ハーバード大学)とキム・ジュニアン氏によるトークイベント「海外で日本の「アニメ」はどう見られているのか?」(新潟市マンガの家との共催)が行われた。新潟市は『ドカベン』の作者水島新司氏や『うる星やつら』の高橋留美子氏らの出身地であり、なおかつマンガの専門学校やアマチュアを対象としたコンテストも存在し、市民のマンガへの関心が高いため、昨今、行政はこの文化を観光事業として進めている。そのため、今回のイベントには一般の参加者も多く集まり、急遽座席を足すなど大盛況となった。

冒頭で、ザルテン氏によるドイツでの日本のアニメ受容に関するキーノート「アニメがどういうふうに越境するか」が発表された。ドイツにおいてテレビアニメは1970年頃から国営放送で次第に放送されるようになり、そのなかには『マッハGoGoGo』や『アルプスの少女ハイジ』といった日本のアニメも存在していた。しかし、それらのアニメのクレジットには日本に関するものが表記されていなかったため、多くの視聴者はこのアニメが日本で制作されていたものと理解していなかった。一方、ビデオパッケージとしてアニメが販売され、国営放送だけでなく民間放送も開始される1980年代に入ると、コストの都合上で日本のクレジットがそのまま収録・放送されるようになり、日本のアニメの認知が国内で広がっていく。さらに、1995年から『美少女戦士セーラームーン』が放送され、日本のアニメの認知・人気は一層拡大する。このように、ドイツでの日本制作のテレビアニメがいかに受容されていったかの歴史的系譜を整理した一方で、ザルテン氏は日本のアニメの表現・演出そのものが海外では編集され、変化されていることを指摘した。その顕著な例は、放映される地域の文化・法律によって映像が翻訳・書き直しがされることである──『ワンピース』では、子どもの喫煙を助長する可能性を考慮して、キャラクターが煙草を吸っている描写は飴を舐めているものへと変化させている。このように、海外でも日本のアニメが日本のものとして認知されていると同時に、その内容が地域によって変化していることをザルテン氏は言及し、最後にアニメとメディア・ミックスとの関係、さらには、ネット上で見られるアマチュアたちによるアニメ受容──違法ではあるが、自国での放映を前にテレビアニメを入手し、独自に字幕をつけてネットで公開し、アニメを共有している──についても触れた。

次に、ザルテン氏の議論を踏まえながら、キム氏によるキーノート「海外で日本の「アニメ」はどう見られているのか?──人形の(悪)夢と『攻殻機動隊』」の発表が行われた。キム氏は、アニメのなかで描かれる人間とは異なる存在としての「人形」に注目し、とりわけ押井守監督作品におけるこの存在が、いかに描かれているのかについて言及した。『攻殻機動隊』において、そこで描かれる人形は「機械と人間を接合するもの」として役割を担っていたのだが、この作品の続編に位置づく『イノセンス』では、人形はもはや「人間そのものが機械化した存在」として変化している。このような2つの作品のなかで描かれている人形の機能の変化を踏まえた上で、その人形の素材についてキム氏は議論を広げる。1976年に公開された映画『地上最強の美女 バイオニック・ジェミー』などで見られる欧米の作品において、それらで描かれる人形──ロボット、アンドロイドと呼ばれるものも含まれるであろう──の多くが、金属を素材として表現されている。一方で、押井作品における人形は「白」を基調としたプラスチックを素材としている。キム氏はこの素材をもとに表現された人形には、1980年代に子どもたちから人気を集めていたプラモデル、あるいはハンス・ベルメールや四谷シモンが制作する関節を自由に操ることできる人形との関連性があることを指摘する──押井が描いた人形観は、その後の他の作品のなかでも垣間見ることができ、まさしく白を基調としたプラスチック製の人形が登場する韓国のミュージシャンのミュージックビデオの存在にキム氏は言及し、なおかつ、そこには日本の有名なプラモデル制作会社のロゴを模したマークが登場し、この人形観にもプラモデルとの関連が強いと述べる。最後にキム氏は、このプラスチックを素材とする人形は、いわゆるアメリカ型(フォード型)と呼ばれる大量生産、あるいは新自由主義──とりわけ、商品としての身体交換の可能性を示す考え──と結びつき、このことがまさに人形の積極的な夢であると同時に、悪夢でもあると提起した。さらに発表後に行われた質疑応答では、キム氏の発表の内容に言及したものが多く、とりわけ、押井の人形観に結びつくものとして、プラモデルだけでなく、それ以前の積み木、レゴブロック、あるいはキン肉マン消しゴムといったものもあるのではないかという議論がもたらされ、予定された時間を大幅に過ぎてしまうほど、大いに盛り上がったイベントとなった。

数年前から、政府も「クールジャパン」と称し、日本のアニメを日本の国際的な経済戦略の一つとして利用しようとする動きが見られている。実際、海外では「Kawaii(カワイイ)」をキーワードに日本のアニメ・マンガのイベントやメイド喫茶などが人気を博しているようである。その観点から今回のトークイベントは、海外出身の研究者による、海外における日本のアニメ文化・受容の影響を考察する機会になったと考えられる。とはいえ、ザルテン氏の発表のなかで指摘されていたように、海外で受容されている日本のアニメ全てが、日本のものとして認知されているかは不明である──とりわけ、アニメの表現が地域によって独自に変化させられていることが、この懸念を一層強くさせている。日本のアニメ・マンガ文化に熱狂する海外の若者たちをしばしば私たちはテレビ番組の特集で見ることもあるが、彼ら・彼女らが本当に日本のものとして理解しているのか、あるいは、理解していたとしても、そのような人々はそのアニメのファンコミュニティのなかのほんの一部でしかないのではないか。つまり、マスメディアを通して、海外で日本のアニメが迎合され、席巻しているという印象を少なからず抱いているとするならば、その真偽を改めて疑うことが必要ではないかということである。この疑念を前提とすることは、今後の日本のアニメ、いわゆるジャパニメーションを研究対象として扱う際、より一層深まった議論に繋がる可能性があり、今回のイベントを通して示された一つの知見であると言えるだろう。

難波純也(東京大学)