新刊紹介 編著/共著 『マンガを「見る」という体験 フレーム、キャラクター、モダン・アート』

加治屋健司、中田健太郎(ほか共著)
鈴木雅雄(編)『マンガを「見る」という体験 フレーム、キャラクター、モダン・アート』
水声社、2014年7月

現在の日本語の通常の用法にしたがえば、マンガは「読む」ものにちがいない。じっさいわれわれも日常的に、マンガを「読む」楽しみを知っている。しかし、ふと立ちどまって、マンガのイメージを「見る」ことも可能なのではないだろうか。いや、そもそもマンガを「読む」ことのうちには、「見る」ことが多少とも含まれているはずだ。そのように考えはじめると、読み飛ばされがちなマンガのイメージのうちには、「読む」と「見る」の境界を揺るがすような、分類しがたい表象の領域が広がっていたのを感じる。

『マンガを「見る」という体験 フレーム、キャラクター、モダン・アート』と題された本書では、まさにマンガを「見る」という側面を強調し、その視覚体験の意味について考察している。その内容は、2013年に早稲田大学で開かれた三回連続のワークショップ「マンガ的視覚体験をめぐって フレーム、フィギュール、シュルレアリスム」の発表にもとづくものだ。発表者および執筆者は、シュルレアリスム研究者の鈴木雅雄、齊藤哲也、中田健太郎、現代美術の研究者である加治屋健司、そしてマンガ研究者の伊藤剛、野田謙介という計六名である。

顔ぶれからも予想されるとおり本書の議論は、マンガと美術をつきあわせながら、そして現在のマンガ研究・批評に、美学や表象文化論の言説をつきあわせながらすすめられた。その議論の過程で、視覚文化としてマンガを考察していくためのいくつかの概念装置が提案され、またマンガをとおして視覚文化全体について考えはじめることの意義も、さまざまに考察されたように思う。たとえば、マンガにおいて顕著に見られるイメージの「動いてしまう」性質からはじまり、瞬間に固定されないイメージの分節作用が近代以降の絵画においても分析され、さらにはマンガと近代絵画が同時代的に共有していた視覚の歴史的課題が再検討される、といった具合だ。そのようにして本書は、マンガと美術をただ結びつけるだけではなく、その結びつきをとおして双方をつらぬく「見る」という体験について、再考しはじめることを願っている。

本書によって開始された議論は、2014年度以降にも「マンガ、あるいは「見る」ことの近代」と題された公開ワークショップにおいて、継続的に展開されているところだ。ワークショップの詳細については、「早稲田大学総合人文科学センター」のホームページに、逐次紹介されていく予定である(http://flas.waseda.jp/rilas/)。(中田健太郎)

伊藤剛、野田謙介、斎藤哲也、加治屋健司、中田健太郎(共著)鈴木雅雄(編)『マンガを「見る」という体験 フレーム、キャラクター、モダン・アート』