小特集 研究ノート ポスト・ミュージアムが問われるべき位相

ポスト・ミュージアムが問われるべき位相
光岡寿郎

ポスト・ミュージアムの内実

「ポスト・メディウム」という概念は(それがいかに論争含みであったとしても)、ロザリンド・クラウスが言及して以来、芸術諸分野の研究領域では一定の市民権を得たのだろう。では、本特集のテーマである「ポスト・ミュージアム」はどうか。硬直した近代西欧の概念としての「ミュージアム」の対概念という直観は働くかもしれないが、そもそも接頭辞の「ポスト」が導く文脈を共有することが現時点では難しい。

ところが2000年代に入ると、英語圏のミュージアム研究においては、どうやら「ポスト・ミュージアム」という用語に流行の兆しが見えてくる。この流行に一役買ったのは、イギリスのミュージアム研究者アイリーン・フーパー=グリーンヒル(Eilean Hooper-Greenhill)だ。彼女は、1980年代以降イギリスのミュージアム研究をリードしてきたが、そもそも日本では「博物館学(museology)」という言葉はあっても、「ミュージアム研究(museum studies)」という用語が一般的ではないため、フーパー=グリーンヒルの位置づけを正確に紹介するのは難しい。博物館学という用語がミュージアムの運営、経営といった実践的な研究や、主として日本を対象とした歴史研究を想像させる傾向が強いのに対して、英語圏の「museum studies」は、教育学、認知心理学、社会学、文化人類学といった広義の社会科学に軸足を置いた研究領域としても理解できる。とりわけ1990年代のイギリスでは、記号論の影響を手始めに、物質文化論(material culture)、メディア研究の枠組みを積極的に受容していく。この一連のミュージアム研究の学際化とでも呼べる動きに大きく寄与したのが、フーパー=グリーンヒルであった。彼女は、2000年の著書『ミュージアムと視覚文化の解釈(原題:Museums and the Interpretation of Culture)』のなかで、ミュージアムが現代社会に適応していくための新しい概念として、ポスト・ミュージアムを以下のように紹介している。

ミュージアムの偉大なる収集の局面は終焉を迎えた。ポスト・ミュージアムはモノを保持し、その面倒を見続けるだろう。けれども、ポスト・ミュージアムは、さらなる〔モノの=引用者〕集積ではなく、むしろその利用のあり方により注目していくだろう。(Hooper-Greenhill 2000: 152、拙訳)

ここで彼女が意図していたのは、恐らくミュージアム研究の重心をモノからヒトへと移行させることだったと思う。加えて彼女は、ミュージアムと来館者の間での複合的なチャネルの存在を強調したことで、ミュージアムというメッセージではなく、ミュージアムというメディアを理解する枠組みの必要性を結果として示唆している。

ところが、このポスト・ミュージアムという概念は、その後すぐに漂流を始める。フーパー=グリーンヒルから6年、イギリスのミュージアム研究者ジャネット・マースティン(Janet Marstine)は、その編著『新しいミュージアムの理論と実践(原題:New Museum Theory and practice)』の序章で同概念に言及しているが、その内実はいささか怪しい。彼女は、現代社会におけるミュージアム像を「神殿(shrine)」「市場主導型産業(market-driven industry)」「植民地化する空間(colonizing space)」「ポスト・ミュージアム」の四類型に分類している(Marstine 2006: 15)。これらはそれぞれ、「神殿」が近代に成立して以降一貫して保持されてきたエリート主義的なミュージアム像、「市場主導型産業」が公的助成の削減から娯楽産業へと参入せざるを得ない1980年代以降のミュージアム像、そして「植民地化する空間」は依然として欧米中心主義的な価値観に依拠せざるを得ないミュージアム像を反映したものだ。この三者を乗り越える枠組みとして、マースティンは「ポスト・ミュージアム」に期待を寄せる。ところがその定義は、冒頭から覚束ないものへと変容している。

ミュージアム理論家であるアイリーン・フーパー=グリーンヒルは、この用語を使って以下の提案をしている。つまり、ポスト・ミュージアムとは、すでに自身を完全に創りかえた(reinvented)制度であり、もはや「ミュージアム」ではない。けれども、「ミュージアム」と繋がっている。(Marstine 2006: 19、拙訳)

私はフーパー=グリーンヒルが、「もはやミュージアムではないけれども、ミュージアムと繋がった」施設として同語を採用したという点には懐疑的である。けれども、この引用からは、少なくとも現状英語圏で使われている「post-museum」がさほど生産的な概念ではないことは確認できるだろう。だとすれば、残りの紙幅を使って考えてみたいのは、とりあえず「ポスト・ミュージアム」という概念に積極的な意義を見いだすとすれば、それは一体何なのかという点である。

機能の集合としてのミュージアム

美術に造詣の深い読者であれば、1929年にMoMAが開館して以降に主流となるホワイトキューブ型の展示室をミュージアムの基底と見なし、サイト・スペシフィックなインスタレーションから、観客との関係性を重視した近年の作品/プロジェクト群への一連の流れを「ポスト・ミュージアム」的な美術運動と見なすことは穏当な判断だと思う。しかし、ここでも問題となるのは、そもそも「museum」は「美術館」だけではないということだ。ここでは、カップヌードル・ミュージアムにまで際限なくその含意を拡げる気はないけれども、少なくとも言えるのは、ミュージアムとはその収集ジャンルに依拠した概念ではないという点である。そのコレクションの中核が芸術作品であろうが、自然標本であろうが、ある一定の知に基づいて収集され、展示がなされる常設の施設であれば、それはミュージアムだからである。

だとすれば、ここではミュージアムを機能の集合だと仮定して論を進めてみよう。というのも、一般にミュージアムは、「収集」「保存修復」「調査研究」「展示」「教育普及」をその要件としているが、この五つの機能をある建造物の内側に集約する必要があるという認識が共有された偶有性にこそ、ミュージアムという近代西欧にヴァナキュラーな概念の本質があると思うからだ。逆に言えば、私たちの大半が多かれ少なかれ収集の経験を持っているし、蒐集家も自身の収蔵品の保存修復に携わってきたし、在野の好事家が各地の文化財や自然標本の研究を続けてきたのである。つまり、そもそもこれらの機能は、必ずしもミュージアムという制度に集約される必然性はなかった。その意味では、むしろ社会の異なる圏域で日常的に営まれてきた個別の行為が、ある特定の建築物/施設として可視化されねばならなかった点こそ、「ポスト・ミュージアム」概念を通して問題化されても良いのではないか。なぜなら、ミュージアムを構成する機能を組み替えたり、これらの機能を他の建造物や空間へと流用する過程を通して、私たちが何を要件に「ミュージアム」を理解しようとしてきたのかが再帰的に認識できるようになるからである。

具体例をそれぞれ挙げておこう。まず前者については、20世紀前半の北米のミュージアムは、上述に加えて「マスメディア」の機能を担っていた。これは、展覧会が多くの来館者を動員したという意味ではない。文字通り、マスメディアのコンテンツを生産していたのである。アメリカで最も古いミュージアム専門誌の一つである『ミュージアム・ニュース(Museum News、以降MN)』を紐解くと、1924年にはネブラスカ州のミュージアムが地元放送局WOAWと共同で番組を放送していたことが分かる(MN 1924 Vol.2 No.10)。アメリカでのラジオの商業放送の開始は1920年とされており、ミュージアムとラジオがその最初期から関係性を築いてきた事実がうかがわれる。同様に1926年には、シカゴ美術館がラジオを通じてレクチャーを提供するなど、全米各地でミュージアムによるラジオ放送の事例は増加していく(MN 1925 Vol.3. No.10)。加えて戦後には、隔週発行の『ミュージアム・ニュース』に、北米全土でミュージアムが提供するラジオ番組の一覧が定期的に掲載される。このように、当時ミュージアムは日常的にメディアコンテンツの制作に従事しており、この流れは北米で主流のマスメディアがカラーテレビへと移行する1960年代まで引き継がれていく。つまり、展覧会の広報媒体としてではなく、ミュージアムの日常業務として「マスメディア」の機能が認知されており、これはミュージアムが同時代のマスメディアの網の目の一端を担っていたことを意味している。

一方で、ミュージアムを支える諸機能のなかで外部化が進行しつつあるのが、書誌情報の作成である。これは「収集」と「調査研究」の核なわけだが、そのきっかけとなったのは、書誌情報のオンラインカタログ化だ。1990年代以降に進んだ書誌情報のデジタル化は、コレクションへのアクセシビリティを拡大しただけではなく、コレクションの価値を規定する専門知の生産過程そのものをミュージアムの壁の外側へも開いていく。例えば、オーストラリアの代表的なミュージアムであるパワーハウス・ミュージアム(Powerhouse Museum)では、オンラインカタログを利用して「市民学芸員(citizen curator)」がミュージアムの書誌情報の不備を指摘し、一週間でミュージアムの専門職が入力したデータをより豊かな項目にしたという事例が報告されている(Proctor 2010: 37)。当然のことなのだが、知の生産を担う専門職としての学芸員ですら、館のコレクション全てを把握するのは困難であり、個別の作品や標本についてはより専門性の高い市民が肩代わりをできる環境が整備されつつある。その意味では、収蔵施設と知の共有を可能にするネットワークさえあれば、ミュージアムを離散的な制度へと再編することも可能なのである。

上述の事例からだけでは、「ポスト・ミュージアム」の意義を説得的に示すにはいたっていないことは承知している。とはいえ、最後に指摘しておきたいのは、同概念をミュージアムという制度を前提に用いるのであれば、既存のミュージアム観に回収されてしまうということだ。むしろ、ミュージアムという名のもとに集約された機能を自由に切り貼りすることで、ミュージアムという営為を現代社会において空間的にも技術的にも最適化し、法律や建造物としてはその解体を導いてこそ、「ポスト」という接頭辞に相応しいラディカルさを発揮することになるのだろう。

光岡寿郎(東京経済大学)


[参考文献]

  • Eilean Hooper-Greenhill 2000 Museums and the Interpretation of Visual Culture, London and New York: Routledge
  • Janet Marstine 2006 ‘Introduction,’ Janet Marstine (ed.) New Museum Theory and Practice: An Introduction, Malden, Oxford and Carlton: Blackwell Publishing
  • Nancy Proctor 2010 ‘Digital: Museum as Platform, Curator as Champion, in the Age of Social Media,’ Curator Vol.53(1), pp. 35-43.