小特集 インタビュー 「現代美術、保存修復の現在——ミュージアムの内外から

インタビュー「現代美術、保存修復の現在——ミュージアムの内外から|アントニオ・ラーヴァ(修復家・イタリア国際修復機関副会長・ヴェナリア国立修復研究所教授)|聞き手・翻訳:池野絢子、田口かおり|記事構成:池野絢子

芸術作品の価値と保存修復

ラーヴァ:それから、名の知られた芸術家とそうでない芸術家には、保存修復の対応について差があります。たとえばアメリカのビル・ヴィオラのようにとても重要な芸術家のケースでは、その映像作品が調査され、より長い期間持ちこたえられるように、芸術家が存命のうちに新しい支持体に移行させることができるようになっています。ビル・ヴィオラは有名ですし、制作されたものはとても価値があるので、コレクターや美術館が保存修復に乗り出すのです。十分な資金があるわけですから、彼の作品はすべてサルヴェージされています。けれども、有名ではない芸術家もいるのです。彼らの作品は、保存されることなく、失われてしまいます。
これはあまり正しいことではありません。私たちは今日、なにが重要で、なにが重要でないかを決めています。けれども明日には、こうした見通しは変わっているかもしれない。ゴッホの作品が、ゴッホの時代には有名ではなく、誰にも知られていなかったようなものです。もしもゴッホの作品が現代に残っていなかったら、これは大変残念なことでしょう。今日、私たちの状況では、あまり成功しなかった作家の作品が消滅の危機にあります。これが、同時代性という、私たちが考えなければならない新しい仕事です。私たちは、あらゆる複雑さを伴った現実そのものに対面せねばならない。そして、少なくともその一区分だけでも、次世代に残していかなければならないのです。もしも経済的成功や、権力、巨大な美術館、富裕な人々に結びついた作品だけを残すなら、そうしたものに結びついていないすべてのものが失われることになるでしょう。同時代性を考えるというのは、未来にとってとても重要な仕事になるかもしれない。ですから私は、みなさんに注意を促すためにも、この場で訴えておきたいのです。私たちは、この瞬間にも、未来への伝承という点で大きな危険をおかしているということです。

エウジェニオ・バッティスティと実験的美術館

ラーヴァ:同時代性の確保という問題に関して、一つ、例をお話しましょう。エウジェニオ・バッティスティが設立し、現在はトリノにある「現代美術の実験的美術館〔Museo Sperimentale d’arte contemporanea〕 のことです。

—— バッティスティはジェノヴァの重要な美術史家で、同時代美術の批評家でもあった人ですね。

ラーヴァ:バッティスティが行ったのは、とてもシンプルでなことですが、私たちはなんらかのかたちで彼の方法を踏襲するよう試みるべきです。彼は、現代美術を学ぶ学生たちのために直接的な知識・情報が必要であると考えました。私たちは、とくに最近の美術に関しては、どうすればそうした情報を学生に与えられるのかを知りませんよね。そこで彼は、実験的なコレクションを作ろうと考えたわけです。学生や研究者が接することのできる、研究のためだけのコレクションを、です。コレクションを作るために、バッティスティは芸術家に直接頼んで、未来の世代に作品を伝えるという使命をわかってもらった上で、各々が選んだ作品を一点ずつ無料で寄贈してもらったのです。このように、私たちも、そこに収蔵された作品が他のあらゆる作品との関係性を保ったまま、忘却されることなく残されることを保証するような、そんな実験的美術館を作る必要があると思います。バッティスティがこうした呼びかけをしたとき、芸術家たちはそれに応え、イタリア中から百にも及ぶ作品が寄贈されました。それらの作品はアーカイヴ化され、現在はGAMに所蔵されています。しかし、残念ながらこのコレクションは一般には公開されていません。非常に残念なことで、たとえすべてを公開するのではなくても希望する人には見せるべきだと思いますが、すべての作品は倉庫に収められており、見るには許可が必要です。

—— 見られないのはなぜですか。作品の安全上の問題でしょうか。

ラーヴァ:いいえ、おそらく展示するスペースがないのでしょうし、それに誰もこうしたタイプのコレクションの価値がわからないのだと思います。倉庫に収められているわけですから保存状態は良いですし、まれに展覧会に一部が出展されることもありますが、基本的にはこのコレクションは見ることができません。バッティスティが考えたのは、あらゆる学生が眼にすることのできるコレクション、ということだったのですが。
「実験的美術館」のコレクションには、今日いまだ理解されていないものが含まれています。アルテ・ポーヴェラの初期作品もありますが、興味深いのは、それ以外のものが含まれているということです。あるコンテクストを理解するためには、有名になったものと、忘れ去られたもの、両方を見なければなりません。同じ年代に、同じコンテクストのなかで生まれてきたわけですから。このコレクションを見るために、パレルモやナポリといった南方からわざわざやってくる人々もいるのです。彼らの土地には、もう作品が存在していないからです。論文を書くためには、その作品が生まれたコンテクストの全体を理解していないといけない、だからこのコレクションではこうしたコンテクストが保存されているということが重要なのです。
残念ながらGAMでは、アルテ・ポーヴェラの作品だけをコレクションのなかから選り分けて展示しています。作品に高い価値がついているからです。けれど、大切なのは、それらの作品が重要性という点では劣る他の作品と一緒に生まれてきたということです。すべて一緒に見られたらよかったのですが。
「実験的美術館」のコレクションはかなり稀少なものです。それは1964年に設立されたのですが、バッティスティは芸術家たちに対して、その年、一番最近制作した作品を送ってくれと言いました。ですから、ミラノ、ボローニャ、ローマ、ナポリ、ヴェネツィア……イタリア全土の1964年の断片を、この時なにが起こっていたのかを、このコレクションを通じて垣間見ることができるのです。私の考えでは、このバッティスティの例は、今日まさに私たちがやらなければならないことだと思います。つまり、作品の保存に取り組むための新しい実験的美術館を作るのです。たとえばヴィデオ・アートの場合には、こうした取り組みはきわめて重要なものになるでしょう。ですから、これもまた、将来の探求への可能な提言の一つとして捉えてください。
多くの人は、どの作品が重要なのかなど知りません。作品の価値はずっと未来になってわかるので、美術館はしばしば、どの作品を購入すべきなのかわからないことがあります。ですから、たくさんの作品を安価で購入して、ドキュメンテーションをとることが重要です。もちろん、ユートピア的な発想ではあると思いますが、現状を打開するための一つの道として考えるべきだと思います。こうした作品のなかには、非物質的であるために残らないものも多い。けれど、たとえばそれを研究しようとする人にとって、そうした作品のドキュメンテーションが残っていればそれは重要なものになるでしょう。

素材の代替と作品の複製

ラーヴァ:アーカイヴ化の問題についてお話しましたけれども、ヴィデオ・アートの保存にしても、デジタル化すればよいというものではありません。たとえば、映写機が機能しなくなった場合のように、関連する問題がたくさんあります。

—— ヴィデオ・アートの場合には、古くなった機械の部品が製造中止になってしまったために、同一の型を入手できないケースがあるとしばしば耳にします。こういう場合に生じる、素材の「代替」 についてはどうお考えですか。

ラーヴァ:それは様々な可能性の展開とともに生じた問題ですが、素材の代替に関しては、必ずしも同じものである必要はありません。オリジナルがなく、それをこれまでと同様の方法で維持することができないときには、オリジナルの「かすかな表象」とでも言うべきものがあるだけです。絵画のコピーと一緒で、もちろんそれは、オリジナルに比べてチープなものにならざるを得ませんが、ないよりはずっとましです。そうでなければ、エミュレーションの方法を考えることでしょう。エミュレーションというのは、オリジナルに使用されていたのとは別のシステムを用い、同じ働きをするコンポーネントによって代替することです。あるテクノロジーは必ず古くなりますから、異なるテクノロジーを用いるべきなのです。性能の良いコンピューターを使えば、古いシステムを装うことができます。限界はありますが、エミュレーションの方法を用いれば、視覚性は確保することができます。エンジニアリングの分野では、過去の電子技術がどのように変化したのかを知ることが重要ですけれども、そういうふうに考えることで私たちは、ある芸術作品をどのように修復するのか、欠損を覆うのか、それとももはや存在しないものの機能を回復させるのかを考えることができるわけです。ヴァーチャル・リアリティも一つの技術だと私は思います。それはまったく具体的なものではないわけですが、何かを再創造し、もはや存在しないものが存在するような感覚を与えることができるのですから。
それからもう一つだけ、複製に関連することで、ホログラムについてお話させてください。この技術は古いもので、最初のホログラムは1940、50年代にまで遡ります。ニューヨークにホログラムの歴史美術館があって、これはとても興味深いものです。ホログラムは、ある事物を非物質的に複製するという特徴を持っています。このため、いくつかの美術館は、かなり以前から、作品をホログラムで複製するということをすでに始めていました。たとえばテート・ギャラリーは、ナウム・ガボの彫刻作品の一部が崩落しはじめたとき、ホロムグラムで保存することを選択しました。少なくともこうすることで、エフェメラルではありますが視覚性を存在するものとして保つことができるのです。

インスタレーションの保存とドキュメンテーションの必要性

—— 先日、大阪の国立国際美術館で開かれたシンポジウムには、ちょうどテート・ギャラリーの保存修復部門の方が二人いらしてお話をされました。そこで大変興味深かったのは、テートでは作品を購入するよりも前に、作品を美術館で適切に保存するのが可能かどうかを検討するためのレポートを作成するという話です。こうした取り組みについてなにかご意見はおありですか、イタリアでは行われているのでしょうか。

ラーヴァ:いえ、イタリアではあまり行われていません。それはまさに私がこれまで提唱してきたことなのですが……。作品を購入する前に、どのように保存するのかを考えるのはとても大切なことです。大変なのは、作品を持続させることですから。購入するときにはさほど費用がかからなくても、作品を保存するのに莫大な支出がいることもあります。インスタレーションも同様に、こうした事前の調査が大切です。購入するときには箱にしまわれた状態で買うわけですけれども、作品がちゃんと見えるようになることを保証しなければなりません。展示する場所がなくて、作品を倉庫に入れたとしましょう。そうだとしても、それを取り出したときにどう設置すればよいのかを知っている必要があります。誰かが作品の展示についてドキュメンテーションを残していなかったら、作品の各部分を、どのように組み立てればよいかはわからないでしょう。作品本体のみをコンパクトにアーカイヴ化して、次の世代に残すなど不可能なのです。後代になって箱をあけてみたら、実際には部品があまり残っていなかった、ということもあるのです。
たとえば私が関わったケースでは、マリオ・メルツのイグルーがそうでした。この修復例については、昨日のシンポジウムでもお話しましたけれども、私がこの作品の修復に呼ばれたときには、構造体だけが残っていて、作品の全体についてはまったくわからない状態でした。かつての姿を写した写真さえ残っていなかったのです。まさにバックアップがなにもなかった状態ですね。そこで私たちは調査を行って、作品が展示された日付や、展示された画廊の情報を集め、徐々に過去を再構築し、ようやく作品が制作されたその時にまで遡ることができました。写真も、結局購入せねばならなかったのですが、どうにか見つかり、完全に忘れ去られたこの作品の資料をようやく手に入れることができたわけです。こういうふうにしてはじめて、私たちは作品を再構成することがでたのです。

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