PRE・face

PRE・face
後退戦の戦い方
竹峰義和

「後退戦をどのように美しく戦うべきか」——うろ覚えだが、たしかこんな言葉だったと記憶している。昨年夏に関西大学で開催された第八回大会の学会賞授与式の際に、選考委員の一人として内野儀先生がおこなったスピーチのなかの言葉である。とりわけ「後退戦」という単語が妙に印象深く感じられたのだが、それはアカデミックな組織の末端に身を置く一人として、リアルな実感をともなうものであったからだろう。所属している大学、専攻、部会、教えている語学、研究している専門分野、さらにはその基盤にある人文学やアカデミズムという制度それ自体も、右肩上がりに成長し、拡大し、発展していく時代はとうに過ぎ去り、目減りしていく一方の自軍の勢力を横目で見ながら、かつて先人が勝ち得た陣地を少しでも長く守りぬき、組織とおのれの職とを延命させるべく、地味な局所戦を懸命に繰り広げる日々。最終的に輝かしい勝利がもたらされるという希望はおろか、いつか戦局が好転するのではないかという期待すらないままに、新制度、新組織、新プログラムといった類いの延命措置に翻弄され、増殖する会議や書類仕事にひたすら追われていく。

もっとも、守るべき組織や職をいま持っているということだけでも幸福であることは十分に承知している。全体のパイが縮小するのに正比例するかたちで、大学組織の正規の構成員になるという可能性はどんどん狭まっており、後任ポスト廃止、特任採用、雇い止めといった言葉が会議室で頻繁に飛び交う。だが、補助金や人事といった大人の事情からか、大学院の定員を削減するという選択肢が取られることはなく、何も知らない高学歴プロレタリアート予備軍が定員枠一杯に毎年リクルートされる。そして、彼らの一時的な雇用先を確保していくために、大学教員たちは、研究や教育といった本業に加えて、既存のプロジェクトの運営や更新にあくせくしたり、新たなプロジェクトに応募したりといったシシュフォス的な作業を延々に反復することを余儀なくされる。

このような、まさに「後退戦」と呼ぶほかはない現状にたいして、それを「美しく戦う」というのは、いったいどういうことだろうか。現状の悪化をおしとどめ、犠牲者の数を少しでも減らすために、戦略的に後方へと退却したり、陣形を柔軟に変化させたりすることだろうか。あるいはむしろ、局面を一挙に打開するために、未開拓の地域や領域へと積極的に侵攻していくことだろうか。いずれにせよ、多くの大学組織で「改革」の名のもとにおこなわれている試みの数々——グローバル化、新学部創設、カリキュラム改革、学事暦の変更、アクティヴ・ラーニング……——は、すべてがそうした善意の目的のもとに進められているのだろう。それがいっそうの組織の疲弊をもたらすことで、破局の到来をむしろ促進しているのではないか、という疑念はさておくとしても。

一方、同じアカデミックな組織であっても、この表象文化論学会を含む「学会」は、少なくとも大学や学部よりははるかに身軽である。いやむしろ、少なくとも私が知っている人文学の分野では、好むと好まざるとにかかわらず、学会がかつて持っていた(であろう)重みが失われつつあるように思われる。幾人かのボスが学会のヒエラルキーの頂点に君臨し、若手の会員は、下働きや追従によって長老たちの覚えが愛でたくなった順番に、純然たるコネによって就職先が決まっていく——そのような古きよき時代は、われわれの世代にとってもすでに遠い過去の伝説であって、いまの学会は親睦会か互助会というのがせいぜいのところだ。もちろん、学会発表や学会誌への査読付き論文の掲載、学会での役職といった「業績」や、同業者どうしの縦や横のつながりが、学振や科研費の申請、就職活動や転職の際に優位に働くといったことはあるだろう。だが、それよりも、博士号、留学歴、論文の数と内容、教育歴など、学会の力学とは無縁の要素のほうが、(健全なことに)学者としてのキャリアにとってはるかに重要となって久しい。要するに、学会というシステムそのものが、その歴史的役割を次第に終えつつあるのであり、いまはただ、たんなる惰性によって余命を繋いでいるというのが実情ではないか。

もっとも、存在意義が根本から問われているのは、「後退戦」での防衛の対象である人文学も同様である。実践力や即戦力など、実利的で短期的な成果が、いまや大学にたいしても声高に求められている。そのなかにあって、思想、文学、美学、美術研究、音楽学、映画学といった「表象文化」にまつわる学問領域は、英語以外の語学とともに、大学という場で多大な時間と経費をかけて教育・研究することを正当化するための論拠が大きく揺らいでいる。私自身、もはや「教養」といった古めかしい理念を持ち出すだけでは誰も説得されないことは理解しながらも、みずからの研究や、本業であるドイツ語教育の存在理由について、目下流行のグローバル化に強引に結びつける以外にはとくに妙案もない。「後退戦」を戦うための大義名分すらないなかで、なおも躍起になって自陣を守りつづける——このような振る舞いが「美し」さから程遠いことは、あらためて言うまでもないだろう。

このような鬱屈した思いを心の片隅に抱えつつ、しかし普段はそれ以上とくに深く考えることもないままに、何となく教員生活を過ごしていたのだが、昨年秋に駒場で開催された研究発表集会において、司会を担当したり、運営委員の一人として会場設営を手伝ったりするなかで、人文学や学会やアカデミズムにたいする自分の悲観的な態度が、妙に気負ったものであったことに否応なく気づかされた。あまり人が来ないのではないかという予測に反して、準備していたレジュメが足りなくなるほどの聴衆が午前中から集まり、午後の書評パネルにいたっては、登壇者たちのネームヴァリューもあって、広いホールが満杯になったあとも、なおも途切れることなくやってくる観客たちの対応に大わらわとなり、他のスタッフたちとともに、予備の椅子をかき集めては並べることに忙殺された。ともあれ、この日駒場に集まった人々の多くは、会員・非会員を問わず、何らかの実利を求めてでもなければ、誰かに依頼されたからでもなく、純粋に知的刺激を得るということを主目的として来場したに違いない。そして、私もまた、個々の発表や議論にたいしては、納得したり、疑問を感じたり、よく分からなかったりしたものの、全体として、参加することのできたパネルのすべてから、さまざまな刺激やアイディアを頂戴することができた。ここ数回の学会では事務局メンバーとして受付の席に座っていることが多く、午前中から最後まで一日を通してパネルを聴くことができたのは久しぶりだったが、充実した議論をしっかりと享受したというアカデミックな満腹感と、スタッフとしてイヴェントを成功裡に終えることができたという達成感とあいまって、疲労困憊しながらも楽しく充実した一日だった。

たとえもはや「後退戦」を戦いつづけるという道しかわれわれには残されていないにせよ、そこで第一に防衛されるべきものは、制度や組織や予算やポストではけっしてないはずだ。ある主題や対象について真摯に研究を重ね、成果をまとめて発表し、それについて徹底的に議論し、たがいに批判しあう——アカデミズムにとって、そうした営みこそが基本なのであって、学会というものに今日何らかの意義がなおもあるとすれば、自己延命のための改革によってかえって身動きが取れなくなりつつある大学組織に代わって、所属や専門の垣根を超えた知的交流の場を提供することに尽きるのであり、それ以上でもそれ以下でもないだろう。何らかの実利的な目的とは無縁のところで、真剣な議論を交わすこと——おそらくはそれこそが、「後退戦」を「美しく戦う」ための唯一の方法なのではないだろうか。そのような当たり前のことを確認させてくれたイヴェントだった。

竹峰義和