小特集 インタビュー:アニメーション映画祭の現場から 1

インタビュー
アニメーション映画祭の現場から
土居伸彰
聞き手・記事構成:池野絢子、門林岳史

──今回、学会誌『表象』第7号の特集「アニメーションのマルチ・ユニヴァース」との関連企画で『REPRE』でもアニメーションの小特集を組むということで、『表象』の特集を中心になって編集した土居伸彰さんにお話を伺いたいと思います。土居さんは短編アニメーションをご専門にされていますが、ご自身で研究に取り組んでいるだけでなく、世界各地のアニメーション映画祭に参加されたり、上映プログラムを組まれたり、といった活動もされています。今日(2013年2月16日)はこのあと恵比寿映像祭での上映プログラムとトークショー、明日はメディア芸術祭の関連企画「ライブラリ・カフェ」でのトークショーと、お忙しくされていますが、まず最初に、そういった上映会とかアニメーション映画祭には、世界にどういうものがあって、どういうかたちで関わっているかということを話してもらえますか。

土居:僕は、ヨーロッパを中心としたアニメーション映画祭界隈の文脈で活動しています。そういった場、もしくはそういった場で上映されるアニメーションの多くは、作品制作にあたって助成金が入って作られています。アメリカや日本の場合、こうした助成金が入らず、アニメーションが産業として成立しているわけですが、それは世界的に見ると珍しいことなんです。僕が研究者として主に考えているのは、助成金で作られている作品もそうですし、冷戦期以降の社会主義圏の国営スタジオでの作品もそうですが、アニメーションが商業的な束縛から自由になったとき、どういう原理でアニメーションが作られうるのかということです。僕が日本に紹介しているのも、そういった環境で作られた作品が多いですね。

──どこでどのような映画祭が開催されているのか、具体的に聞かせてもらえますか?

土居:今のアニメーション映画祭シーンのなかでは、フランスのアヌシーがアニメーション専門の映画祭では一番古く、1960年にできました。カンヌ映画祭の一部門から独立したものなのですが、現在にいたるまで、世界最大のアニメーション映画祭としての地位をキープしています。そのアヌシーに加え、クロアチアのザクレブ、カナダのオタワ、それから日本の広島をあわせて四大アニメーション映画祭という言い方をする人もいます。ザグレブやカナダは、世界でも有数の国営映画スタジオがある場所です。映画祭の中心となる短編アニメーション制作の盛んな場所に、主要な映画祭ができたということです。

──国営スタジオが背景にあるんですね。

土居:クロアチアのザグレブには、ユーゴスラビア時代にザグレブ・フィルムという大きな国営スタジオがあって、50年代以降、そこで作られたアニメーションは「ザグレブ派」と呼ばれるくらいに隆盛を誇りました。当時はディズニーが世界のアニメーション・シーンを席巻していて、自然主義的な描画のアニメーションが「正統」視されていました。『風車小屋のシンフォニー』などが良い例です。そんななか、ザグレブ派は、平面性を押し出したデザイン性の強いアニメーションという伝統を作りました。
カナダには資本主義圏としては珍しく国営のスタジオがあります。カナダ国立映画製作庁(通称NFB)というスタジオです。NFBは、映画産業大国アメリカの隣というロケーションもあり、産業的にはニッチになってしまうドキュメンタリーと短編アニメーションに特化しています。アニメーション部門の初代のトップはノーマン・マクラレン、つまり実験アニメーションの巨匠です。NFBの特徴としては、国営スタジオなのだけれども、個人制作に近い小規模な作品を作り続けていることが挙げられます。冷戦期の東欧の国営スタジオは集団制作で、体制としては日本やアメリカの商業スタジオとあまり変わらないんです。でも、NFBは個人制作に近いスタイルなので、ビジュアル的にも作品や作家ごとに異なり多彩で、日本の個人作家にも大きな影響を与えています。

──あともうひとつ挙げた広島はいかがですか?

土居:広島国際アニメーションフェスティバルは1985年に始まり、現在でも2年に1回、8月に開催されています。広島は、アヌシーを中心に海外のアニメーション映画祭シーンが次第に出来上がりつつあるなかで、日本でも同様のものを、と考えられて作られた映画祭です。日本だと商業アニメーション(いわゆる「アニメ」)の分野の発達がすごいわけですが、広島国際アニメーションフェスティバルは、その文脈とは距離を置くことになっています。短編を中心として、アニメーションによる国際的な人的交流を図る、といった色が強いと思います。この映画祭は、木下蓮三さんと木下小夜子さんという夫婦のアニメーション作家が、日本におけるアニメーション文化をもっと幅広いものにしたいと考え、いろいろな自治体に働きかけた結果として出来上がった映画祭なんです。お二人は、広島の原爆についての絵本をもとにした『ピカドン』というアニメーションを作っていて、その縁から広島市が映画祭を後援することになり、資金的な支援もしています。広島の歴史的な背景から「愛と平和」を映画祭のテーマとして一貫して掲げています。

──夏に開催するのは、8月6日の平和記念式典と重ねているんですか?

土居:広島市側は、式典とくっつけたいという意向があるらしく、5年前と3年前の大会は式典の翌日、7日からスタートするというかたちになっていました。ただ、映画祭側としては式典の一環として埋もれてしまうのを防ぎたいという意向から、8月の後半にやることを主張しており、去年の大会は8月後半でした。両者のせめぎ合いが続いているという感じです。

──土居さんは映画祭に審査員として呼ばれたりもしているようですけれども、具体的にどういう活動をしているんですか?

土居:今回の恵比寿映像祭でも取り上げてもらうんですが、僕は若手のアニメーション作家たちとともにCALFというグループを作ったんです。2000年代の日本では、大学でのアニメーション教育の開始や高性能のパソコンの安価な普及、テレビやインターネットでの発表の場の増大といったことを背景に、個人制作の作家が多く生まれました。CALFは、そういった流れから頭角を現して、現在、国際的なアニメーション・シーンで活躍している30代前後の短編アニメーションの作家とともに集まって作ったグループです。日本の若手作家のDVDを出したり、短編アニメーションの劇場での配給や上映イベントなどを行ってきて、現在では正式に会社化され、制作プロダクションとしての機能も持っています。CALFのひとつの使命として、日本のインディペンデント・アニメーションを世界に普及させるというものがあって、海外向けのアピールも行っているのですが、CALFの活動に注目が集まることで、最近では年に1、2回、海外の映画祭に呼ばれる機会がでてきました。今は全世界でおそらく200以上の映画祭があるわけで、そうすると、どこかしらの映画祭で日本の短編アニメーションの特集をやりたいと考えるわけです。そんなときに僕が呼ばれて、日本のインディペンデント・アニメーション作品のプログラムのキュレーションをして、講演をして、ついでに審査員もやる、というかたちが多いですかね。

──200を超えるというと、あちこちの都市で何かしらやっているっていうことですか?

土居:そうですね。国によっては、アニメーション専門の映画祭であっても、ひとつの国のなかで複数あるところもあります。僕が専門としている短編アニメーションは、今はインターネットがありますけど、映画館で普通の興行としては成立しづらいということもあり、映画祭が主な発表機会になってるんですよね。ヨーロッパにはアニメーション映画祭が多いですから、CALFが手がけている短編アニメーションについても、ある程度適切な文脈で認めてくれるような人たちがいるわけです。

──なるほど。その「適切な文脈」についてもう少し伺いたいんですが。

土居:1960年にアヌシー国際アニメーション映画祭が発足したのと同時に国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)という団体ができました。短編アニメーションを作っている人たちによる国際的なコミュニティです。冷戦を背景に、東西のアニメーション作家たちが相互に助け合える場を作ろうとして設立されたものです。映画祭という場を中心に、産業的な要請からある程度切り離された場所でアニメーション作品を制作してきた人たちが歴史的に作り上げてきた文脈――それをいま、「適切な文脈」という言葉で言ったんだと思います。短編アニメーションというものについて、意識的に考えている人たちの文脈です。アニメーション映画祭の文脈の問題点に、現地で参加する人にしか情報が行き渡らないということがあります。アニメーション映画祭にはなかなかメディアも入りませんから。僕は幸運にも海外の映画祭に定期的に行ける状況にいるので、面白いものがあったら紹介しよう、日本におけるアニメーションへの認識をアップデートしよう、と思って、諸々の活動をしている感じです。

──そうすると、国内向けに紹介するときと海外の映画祭に持っていくときでは文脈が違うということを意識されるんじゃないですか。

土居:そうですね。基本的に日本の個人作家の人たちは、アニメーション表現の歴史性に無頓着な人が多いのですが、だからこそ逆に、ヨーロッパの映画祭文脈からは生まれてこないだろうな、というちょっと変わった作品が多いんじゃないかと思います。だから、海外に日本の作品を持っていく場合は、そういったヨーロッパの映画祭文脈から外れたものをいつも入れるようにしています。逆に、海外から日本に作品を持ってくるときには、海外でガシガシと切り開かれているアニメーションの新しい可能性がよくわかるものだったり、海外の新たな動向を象徴するようなもの、題材的に日本ではアニメーションを用いて語られることがないようなものを持ってくるようにしています。
たとえばいまヨーロッパでは長編制作がかなり盛んになっています。そのなかにも二つ流れがあって、一つはバンド・デシネやグラフィック・ノベルを原作とする長編アニメーションが出てきている。おそらく日本における漫画原作のアニメーションと親近性が高いと思います。他方、アニメーションを用いたドキュメンタリーも長編の形式として多く見かけます。ヨーロッパにおけるこのようなトレンドは、広島が短編重視ということもあり、日本ではなかなか包括的に紹介される機会がありません。アニメーション・ドキュメンタリーは、海外ではもうすでにひとつのジャンルになっているけれども、日本ではなかなか同様の作品は作られない。僕が研究しているのは、個人作家による短編アニメーションなんですけど、アニメーション・ドキュメンタリーと個人作家のアニメーションは、プライベートな視点から世界や歴史を紡ぐという点において表現的なつながりを持っています。僕がこれまで研究してきたようなことが、ある種、ヨーロッパではオーバーグラウンドになってきているんですね。そういったこともあり、アニメーションの新しい傾向を日本に紹介することは、僕自身の研究にとっても良い機会となっています。