新刊紹介 単著 『悪の哲学 中国哲学の想像力』

中島隆博
『悪の哲学 中国哲学の想像力』
筑摩書房、2012年5月

「悪の哲学」――禍々しくも蠱惑的な題の書物を開くと、災禍の後の思考を促す乾いた風が吹き抜ける。

本書は、著者が指摘するとおり「悪」を思考することにおいて劣っていると言われてきた中国哲学のうちに様々な悪の思考可能性を見出していく試みである。それは悪をどのようなものとして思い浮かべることができるかと問うと同時に、その克服の方途を探る「想像力のレッスン」である。

幾多のレッスンを挙げてみよう。個人の「内面」に悪の場所を求めた朱子学より説き起こして古代へと向かい、天人相関思想に基づいて天譴を受ける君主の放埓(社会的悪)、あるいは反対に天人を切断の相の下に捉え人の世界の中でのみ思考される悪が浮き彫りにされる。さらには「帝国」の形而上学的原理である「天」(およびそれと関わる「人」)を思考し直すために、さらに古へと想像力は広がっていく。他者との関係の可能性を排除する「他人の悪」を見据えこれに性善をもって対抗する孟子、あるいは天に法り善悪の彼岸・非倫理の境地に至ろうとする荘子、人間の性を悪と見定めながらも老荘の批判に応える荀子…と悪を通じての中国哲学(ひいては現代哲学)入門の性格も備えている。

こうしたレッスンの途上、君子がもたらす悪や、それ自体は歴史的なものである「礼」自体が普遍化されることにより成される悪、といった巨悪の形象を目の当たりにすることになるが、しかしその都度克服の方途も示唆されている。他者と共にある「小人の倫理」、超越的原理不在の中で自然を変容させ倫理を導き出す一種のテクネーとしての「偽」(作為)等々、本書はさながら小さきパンドラの匣として送り届けられている。我々のパンドラはこう叫ぶ、「味わえ、介入せよ」と。準備は要らない、その声に耳を傾ければいい。(柿並良佑)