新刊紹介 単著 『複数形のプラハ』

阿部賢一
『複数形のプラハ』
人文書院、2012年1月

本書は、おおむね20世紀前半にプラハで活躍した作家や芸術家たちを対象とし、チェコ・ドイツ・ユダヤの要素に断片化された都市空間を横切る彼らの活動を読み解く研究である。そうした作業を通じて著者は、「国家」や「民族」といったカテゴリーから語られる歴史においてはこぼれ落ちてしまう彼らの活動の両義性や重層性を浮かび上がらせる。けれども本書が響かせる複数の声は、チェコ・ドイツ・ユダヤの三つのカテゴリーのみに包摂されるわけではない。例えばパリから凱旋したアール・ヌーヴォーの画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)のプラハでの活動におけるフランス性とスラヴ性の相克。あるいはモラヴィアの作曲家レオシュ・ヤナーチェクによるチェコ語オペラ上演に見るモラヴィア性とチェコ性のずれ。カフカと同時代にチェコ語で執筆したユダヤ系作家リハルト・ヴァイネルは、1918年のチェコスロヴァキア共和国誕生で沸き立つ広場にかき消されそうになった異邦の声たちを聴きとる。そのようにしてさまざまなアイデンティティが折り重なった都市空間の読解は、文学、美術、音楽といった芸術ジャンルを柔軟に横断する達意の論述に支えられている。(門林岳史)