新刊紹介 単著 『バフチン カーニヴァル・対話・笑い』

桑野隆
『バフチン カーニヴァル・対話・笑い』
平凡社新書、2011年

うかつにも私はこの本を桑野隆の旧著『バフチン――〈対話〉そして〈解放の笑い〉』(岩波書店)の新書版だと思いこんでいた。1987年に初版、2002年に新版が出た旧著『バフチン』は、長らく日本のバフチン研究のスタンダードだった本である。その後もバフチンの入門書らしきものは何冊か出たが、結局、これに勝るものはなかった。クラークとホルクイストの評伝(『ミハイール・バフチーンの世界』川端香男里・鈴木晶訳、せりか書房)とあわせた二冊を読むことが、とにかくバフチンを「ちゃんと」知るための出発点だったのである(そうしなかった人はだいたいどこか変なことを言うのですぐ分かる)。そんな基本書をすでに書いた人が、バフチンをもう一冊新書で出すとは、いったいどういうつもりだろう?

桑野隆の新しいバフチンに対するそんな疑念は、本書を手に取るやいなや雲散霧消する。これは新しい本である。と同時に、古風な本でもある。なによりも、そこに含まれている情報の圧倒的な新しさだ。ここ十年ほどでバフチンに関する知識は飛躍的に増大した。1996年の刊行開始後、遅々として進まなかったロシアの新しいバフチン著作集もあと一巻を残すばかりになったし、関連するロシア語文献、英語文献の数も膨れ上がっている(その一端は新著の参考文献目録からもうかがえる)。正直なところを言えば、うんざりするような量であり、しかもそのほとんどは砂を噛むように味気ないのだからなおさらだ。ところがその膨大な文献を桑野はたしかに読んでいる。そして、読み込んだうえで簡潔に活かしている。学者的な律儀さに支えられたこの軽やかさは、後の世代のロシア文学研究者にも表象文化論研究者にも真似できなかったものだ。とにかく、しばらくバフチンをさぼっていた人は、本書を読んで、新たに判明した事実の量と質に驚くだろう(バフチンの著作の表題さえ、最近の研究成果をふまえて改められているものがある)。ここで紹介されているバフチンのラブレーに関する学位論文審査の経緯、とりわけ、口頭試問でバフチンが言い放ったという驚くべき一言――「わたしは「とり憑かれし革新者」なのです」――を読むためだけでも、この本は買う価値がある。伝記的事実だけではない。ドストエフスキー論とラブレー論の新版と旧版の詳細な比較などは、入門書の枠を越えた価値があるだろう。この本は間違いなく新しい。

とはいえ、桑野隆が「新しさ」を売りにしようなどとする人ではないことを私たちは知っている。新著『バフチン』もまた、これまでの桑野の著作と同じく、古風な情熱に貫かれている。「モダン」やら「ポストモダン」やらといったアカデミズムの流行語にはびくともしない古風な情熱。それを何と呼ぶべきか知らないが、いずれにせよ、ふらふらと迷ってばかりいる私のような人間にしてみれば、ほとんど嫉妬するしかないような揺るぎなさである。本書の末尾近くに置かれたごくさりげない一文「わたしとしてはやはり『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』を最初に読むべき著書としてあげておきたい」ですら、生半可な学者に言えるせりふではないのだ(ここ数十年の内外のバフチン研究は、哲学的に澄ましたバフチンや文学的にテクニカルなバフチン像の精緻化にばかり関わり、一貫して、祝祭的に大胆なバフチンを貶める方向で動いてきたのだから)。ブームとしてもてはやされ、その後たんなる学問的対象の一つに成り下がってしまった古いバフチンを捨てて再スタートをきるために、この本は読まれる必要がある。旧著と新著をあわせて読むこともおすすめしたい。(番場俊)