第4回研究発表集会報告 研究発表 3

研究発表3

2009年11月14日(土) 10:00-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3

研究発表3:映像メディアの相克

初期ビデオアートと社会空間の変容
阪本裕文(稚内北星学園大学)

ゴジラは吼えているのか ── 映画におけるノイズをめぐる一考察
恩地元子(東京芸術大学)

音楽付きドラマ《幸福な手》の視覚的演出
──シェーンベルクの1910-20 年代の舞台作品と映画
白井史人(東京大学)

【司会】堀潤之(関西大学)

本セッション「映像メディアの相克」は、映画、ビデオアート、音楽付きドラマといった、広い意味での映像・視覚メディアに関わる3つの発表をグループ化したものである。

恩地元子氏の発表「ゴジラは吼えているのか──映画におけるノイズをめぐる一考察」は、主に本多猪四郎の『ゴジラ』第1作(1954)を取り上げて、視覚的なスペクタクル性に目を奪われがちな特撮映画というコンテクストにおいて、ゴジラの「咆哮」が担っている特権的な地位に注目したものだった。テーマ曲によってもよく知られている作曲家の伊福部昭に比べて、録音の三縄一郎が周縁に追いやられているにもかかわらず、シリーズに偏在するゴジラの「咆哮」がアイコンとしての特異な位置を獲得しているさまが、関連資料の徹底した調査とともに具体的に紹介された。ただし、本研究がノイズ研究一般、さらには著者が近年推し進めている魅力的な「身体の博物誌」研究にどのように接続されるのかが、時間の関係もあって、必ずしも明確にされなかった点は惜しい。

続く阪本裕文氏の「初期ビデオアートと社会空間の変容」は、黎明期の日本のビデオアートを「外在性」「社会的環境性」「反映性」の3つの軸で整理し、その上で、1960年代から70年代におけるビデオアートを、「非決定という態度」(森岡祥倫)が批評的な有効性を持ち得ていた「初期ビデオアート」として同定しようとする試みである。この時期のビデオアートに関する発表者の学識は折り紙付きであり、またともすれば批評性を失いがちな近年の「メディア・アート」に「初期ビデオアート」の批評性を対置するという構図はある程度は納得できるものの、「社会空間の変容」のとらえ方(たとえば、80年代以降は監視/管理体制や、ポストモダニズムといったタームに還元されている)がいささか手薄なのではないかという疑問は残った。

最後の発表である白井史人氏の「音楽付きドラマ《幸福な手》の視覚的演出――シェーンベルクの1910-20年代の舞台作品と映画」は、1910年から13年にかけてシェーンベルクが創作した音楽付きドラマで、映画化も計画されていた《幸福な手》を取り上げて、書簡、舞台スケッチ、絵画作品、スコアといった各種資料にていねいにあたりながら、シェーンベルクがどのような視覚的演出を試み、またそれが映画に対するどのような両義的な緊張関係のもとに構想されていたのかを明らかにする大変緻密な発表だった。だが、シェーンベルク一人を掘り下げていく研究は当然必要ではあるものの、同時代のより広範な芸術運動と《幸福な手》がどのように結びつきうるのかということについても考えを聞かせて欲しかったという気はする。

以上の報告では、司会者として隣で発表を聞きながら、僭越ながら個人的にやや不足に思った点をあえて強調させていただいた。どの研究発表もおそらくはより大きな仕事の一部分であり、今後の展開が期待される。

堀潤之(関西大学)

【発表概要】

初期ビデオアートと社会空間の変容
阪本裕文(稚内北星学園大学)

60年代よりアート&テクノロジーの系譜のなかで誕生したビデオアートは、その後メディア・アートに飲み込まれ、今や過去の、ある特定のスタイルを指し示す呼び名のように捉えられている。その多くは(例えば、飯村隆彦を除いては)かつてのビデオアートが持ち得ていた批評性を、ある段階において失っている。このような変容がどうして引き起こされたのかと問うのならば、90年代のメディアの発達によって、インタラクティヴアートやビデオインスタレーションが増加したからであると、技術と形式の関係において読み解いてみることは可能であろう。 しかし、私には始まりの時点から別の要因が準備されていたように思えてならない。ビデオアートは「見る/見られる」といった固定した視線の関係性を揺るがし、差延を強調させるという特性によって、文化と社会に「非決定という態度」(森岡祥倫)を持ち込んだ。それはテクノロジーに迎合する芸術であったというよりも、モダニズムからその身を引き剥がしてゆく態度であった。だが、それは文化と社会の際限なき分節化に対して、ほとんど加担してしまうような態度ではなかったか。 ここで私は、国内のビデオアートの歴史を対象として、そこに「初期」という区分を導入し、危ういながらもその「非決定という態度」が有効性を持ち得た60年代~70年代と、有効性が後退させられてゆく80年代以降に分けて比較を試みたい。そこには明確な社会変容の徴を見出すことができるはずだ。

ゴジラは吼えているのか ── 映画におけるノイズをめぐる一考察
恩地元子(東京芸術大学)

「ゴジラ」第1作(1954)のタイトルバックに足音とともに聞かれるゴジラの咆哮が、映画の効果音の歴史において画期的な創作であることは、繰り返し強調されてきた。しかも、ゴジラスーツ(着ぐるみ)が、50年に及ぶゴジラシリーズ28作において、時代、ストーリー、対戦相手(及び必要とされる格闘技)などによって、改変されたり新たに造られたりして、形態学的に、観相学的に、かなりの違いを見せてきたのに対して、咆哮には、この1954年版の素材が一貫して用いられている。また、「吼え」は、ゴジラがスクリーン内に存在するか否か、あるいはストーリー展開と関わりなく遍在しており、台本では単に「吼え」「咆哮」などと記述されながら、映画化の過程で、あるいは鑑賞者によってさまざまな意味を担わされることにもなった。「吼え」が単なる効果音の枠組みを超え、一怪獣の重要なアイコンとして特異な位置を獲得している点、アメリカなどの特撮映画と比較しても、類を見ない事例といえよう。

本発表では、映画におけるノイズ研究の成果を踏まえて、「ゴジラ」シリーズの「吼え」について包括的な分析を試みる。

尚、本発表は、最近、取り組んでいる「身体の博物誌」研究のなかで、足音論の延長にあると同時に、今後、数年かけて行なう予定の「泣く/哭く」をめぐる表象研究の第一歩となる。

音楽付きドラマ《幸福な手》の視覚的演出
── シェーンベルクの1910-20 年代の舞台作品と映画
白井史人(東京大学)

アーノルド・シェーンベルク(1874-1951)は、後期ロマン派的な作風から伝統的和声の規則を覆した無調、さらには不協和音を組織化して扱う12音技法などのさまざまな音楽語法を自己の様式とした作曲家として知られる。本発表では、アドルノの『映画のための作曲(1944)』におけるシェーンベルクらの「新音楽」の語法の映画音楽への導入の主張の捉え難さを出発点とし、これまで彼の創作の中で位置づけられてこなかったシェーンベルクの音楽と映画との関係を考察する。

具体的には、1910年から13年にかけて創作され、彼自身がテクストも手掛けた音楽付きドラマ《幸福な手》を事例として取り上げる。彼は、実用の映画音楽は作曲せず、映像なしの《映画の一場面のための伴奏音楽(1930)》というアイロニカルな作品を残すに留めたが、この舞台作品に関しては書簡において映画化の計画を表明している。

この映画化計画は実現されなかったが、この作品においては、音楽やドラマの内容と密接な関係を持ちながら、照明によって舞台上の色彩の変化を生む視覚的演出が構想されている。こうした視覚的演出の指示と、シェーンベルク・センター刊行の『詳解カタログ(2005)』所収の彼自身による舞台スケッチの検討を通して、当時の新たな表現手段である映画に対する彼の両義的な姿勢の中で進む1910~20年代のシェーンベルクの音楽創作と視覚的表現との関わりを検討したい。

阪本裕文

白井史人

堀潤之