第5回大会報告 研究発表 9

研究発表9

2010年7月4日(日) 16:30-18:30
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム

研究発表9:表象文化論としてのエピステモロジー/エピステモロジーとしての表象文化論

フッサールからカヴァイエス、フーコーへ ── 超越論的科学哲学の運命
松岡新一郎(国立音楽大学)

フランス・エピステモロジーの系譜とミシェル・フーコーの方法論
阿部崇(青山学院大学)

「19世紀医学」をめぐるカンギレムとフーコーの対話
田中祐理子(京都大学)

【コメンテーター】橋本毅彦(東京大学)
【司会】松岡新一郎

表象文化論の研究にとって、自然科学は非常に大きな意味を持っている。あらゆる時代のあらゆる創作・表現は、そのつどの技術的条件に制約されつつその可能性を解放するというかたちでなされてきたものであり、近現代の技術は、理論的学問として方法的・制度的に整備された科学と不可分の関係を成しているからである。ただし、この関係は必ずしも科学の技術への「応用」という単線的なものではない。なぜなら、科学それ自身もまた歴史的・技術的条件に制約された営みに他ならないからである。しかし現在のところ、表象文化論の内部において基礎的な科学研究が用いる諸表象あるいは科学が表象される仕方といったものが主題的に取り上げられることは、未だ稀である。本パネルの主眼は、こうした状況に一石を投ずるものとして、表象文化論の重要な源泉であるフーコーらのフランス・エピステモロジーが影響史的にも内実的にも自然科学の問題といかに深く繋がっているかということを示すことにあった。

まず松岡は、20世紀以降のフランス現代思想に直接の基盤を与えたフッサールの現象学から話を起こす。フッサールはその『幾何学の起源』において、科学におけるアプリオリ性と歴史性の関連という重大な問題を提起しまた自らの見解を明らかにした。この問題設定自体を条件づけているカントにおいては、純粋直観である空間の構造から構成される幾何学は非歴史的で端的にアプリオリな真理性を備えているとされる。これに対してフッサールは、現実の幾何学が古代ギリシアの或る時期に(何人かの)個人によって発見・展開されたという歴史的事実は無視できない、と考え、こうした学問の発見・発展をそのつど条件づけている「歴史的アプリオリ」というものが存在し、これは単に主観的意識の一般的な構造からだけでは解明することができず、私たちの生活世界やその歴史をも扱えるような拡張された現象学の必要性を説いた。ただしフッサールもまた基本的には、その発見・発展には歴史性があるとはいえいったん認識された科学的真理は非歴史的なものであり恒久的に維持される、と考えている。そのフッサールをフランスに導入した初期の一人であるジャン・カヴァイエスは、これに対して、科学を構成している諸概念自体が歴史性を帯びており、哲学の対象はこの意識の認識論的構造から諸概念がはらむ構造と歴史性へと移行しなければならない、とした。そしてこのカヴァイエスの影響のもとで、実際に科学とくに生物学の歴史に即して学問的諸概念の分析を行ったのがカンギレムであり、これをさらに時代のあらゆる言説にまで拡大させたのがフーコーであると、とりあえずは整理することができるだろう。

以上を受けて阿部は、フーコーの思想のなかから、「認識の哲学」と「概念の哲学」というモメントを取りだすとともに、前者から後者への推移を見て取る。『狂気の歴史』や『言葉と物』といった1960年代半ばまでのフーコーの仕事は、もちろん主観的意識の現象学的研究ではなく、諸々の人間主体(「主観」ではなく)を取り巻く言葉と社会制度がそのつどの歴史的局面においてどのように構成されており、そしてそれが「生命・生産・言語に代表されるような物事の認識をいかに条件づけていた(いる)のか、ということを明るみに出すものであった。ただしこの段階では未だ、「認識主体としての人間」という次元は保持されており、その意味で、フーコー自身が「経験的=超越論的二重性」というカント以降の人間の在り方とその有限性を引き受けていたとも言える。これに対して『知の考古学』以降になると、フーコーは研究対象となる諸「言説」の非人称性、脱人間的な自律性をいよいよ徹底させていこうとする。問題なのは、言説がいかに人間の認識の可能性の条件となっているか、ということではなく、諸言説の配置自体がいかなる力を被りつつまた自ら力を生み出し、そして歴史的に変容してゆくのか、ということなのである。もっとも、これには、概念の批判は概念の創造(従来の概念の位置変更による新たな可能性の解放)に繋がるべきものである、というドゥルーズの指摘を考え合わせる必要があろうし、晩年のフーコーの「主体への転回」という問題も残されることになるだろう。

そして田中は最後に、いわば「歴史的アプリオリ」がいかに機能し変容するかということを示してくれるような現場を問題にした。それは、19世紀後半の医学・生化学およびそれを主導したベルナールとパストゥールの仕事である。言説の組織化の段階を実定性から認識論性・科学性そして形式性へといささか図式的に整理したフーコーに対して、カンギレムは、特に医学や生物学といった複雑な領域には単線的な理解を拒む固有の事情があるとした。ベルナールは、優れた実験手法に基づいて当時の医学を認識論的に一貫したものにしようとしたが、まさにそのために、個々の生体という「体系」の外部からやって来る病原体の存在を認識する可能性が彼には閉ざされることになった。これに対して、パストゥールが発酵や病原性といった現象を目に見えない「胚種」によって説明することを発想できたのは、彼が医学とは別の歴史的アプリオリに、つまり個別的で局所的な諸作用をより重視する化学的な見方に、依拠していたからである。しかし、この二人の論がそもそも或る事象の理解を巡って対決することができたという事実自体が、何らかの共通した認識論的地平がそこで機能していたということを示している。そしてこの地平は、むしろ先行するベルナールの業績と手法によって形成されたものだったのである。ある成功した科学は、まさに成功という言葉を有意味にする条件として、不成功に終わった科学を必要とするのであり、この両者が並立していた時点でその並立を可能かつ必然的にしていた諸条件を改めて取り出すことがカンギレムの、そしておそらくは概念の哲学一般の、本質な仕事であった。そしてこうした問題意識の対象を現在まさに機能している諸対立の条件にまで拡げるということこそが、「権力」を扱う後期のフーコーの課題だったと言うこともできるかもしれないのである。

串田純一(東京大学)

【パネル概要】

表象文化論の研究対象が仮に、何らかの文法、概念を備えた媒体あるいは言語を通して対象を再現する行為であるとすれば、科学もまたすぐれて表象再現の一つであると言えるのではないか。たとえば数学は、いくつかの公理を出発点に厳密な推論形式により、対象世界を構築している(それが完全に閉じた形式でないにせよ)し、物理学とともにわれわれを取り巻く世界の様々な現象を記述するために重要な役割を果たしている。一方で、自らの言語を分析する言語(集合論、数理論理学から圏論、ホモロジー代数にいたるまで)を展開してきた。こうした作業は、文学や絵画などにおける同様の展開と並べて論じるに値しよう。そのためにわれわれはまず数学や物理学の言語をわれわれの言葉に翻訳し、共有しなくてはならない。エピステモロジーとはそうした翻訳の試みに他ならない。フレーゲ、ウィトゲンシュタイン、カルナップ、クワイン、パットナム、そして近年のファン・フラーセン、ナンシー・カートライト、さらには量子重力や超弦理論をめぐる物理学者たちの議論等々、主として英語圏の分析哲学については良く知られているが、フランスにおいてもまた、ガストン・バシュラールからジャン・カヴァイエス、アルベール・ロートマンを経て、カンギレム、フーコー、ジュール・ヴィユマン、ジル・ガストン・グランジェといった哲学者達がそうした試みを続けてきた。そうしたフランスにおける科学論の試みを表象文化論の一つの領域として論じることで逆に表象文化論の方法論を見直す機会ともなるのではないかと期待する。

フッサールからカヴァイエス、フーコーへ ── 超越論的科学哲学の運命
松岡新一郎(国立音楽大学)

本論では、フッサールの『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』および、『幾何学の起源』が、フランスにおける科学論、とりわけジャン・カヴァイエスとミシェル・フーコーのそれに与えた影響を考察する。フッサールのこれらの著作が最初に反響を得たのはフランスにおいてであった。とりわけ、『幾何学の起源』は1939年にすでにRevue internationale de philosophie誌に注釈付きで掲載されている。それが後のジャック・デリダによる詳細な解説を伴った翻訳刊行つながったことは良く知られているところだ。しかしながら、こららの著作がガストン・バシュラール以降のフランス科学史、科学哲学、とりわけジャン・カヴァイエスによる科学の発展をめぐる論理学的な考察に与えた影響はこれまでのところあまり議論されていない。カヴァイエスからカンギレム、そしてミシェル・フーコーへと連なるフランス科学論の系譜をたどり直す作業を通し、フッサールの先駆的な著作のどのような部分が受け継がれ、一方でどのような部分がいかなる事情から否定されるにいたったのかを明かにすることで、フランスの科学論をより広い文脈の中に置き直すことも可能となるであろう。

フランス・エピステモロジーの系譜とミシェル・フーコーの方法論
阿部崇(青山学院大学)

フーコーがある論文中でフランス哲学のうちに「認識の哲学」と「概念の哲学」という二つの系譜を見出し、その後者の系譜のうちに自らを位置づけていたことはよく知られていよう。フーコーはどのようにサルトルやメルロ=ポンティらによる「主体の哲学」を批判し、カヴァイエスやカンギレムの系譜に連なる思考をどのようにイメージしていたのか。本発表では、フーコーが現象学的な「主体の哲学」をいかに批判したか、という点を確認するだけでなく、それを乗り越える「概念の哲学」を自らの思考のプロジェクトのうちでどのように実現しようとしたのかを考えてみたい。フーコーの「アルケオロジー」という方法論の生成と変化のうちに、そうした「概念の哲学」の企図を見出すことができるのではないか、というのが私の提出したい仮説である。そしてそれが、フーコーの思考が「フランス認識論」の系譜に紛れもなく位置づけられることを明らかにしてくれるのではないか。

「19世紀医学」をめぐるカンギレムとフーコーの対話
田中祐理子(京都大学)

フーコーが自らを「概念の哲学」の系譜に位置づけた論文を捧げた対象であるカンギレムは、論文集『生命科学の歴史におけるイデオロギーと合理性』の序言において『知の考古学』の著者に一つの疑義を呈した。それは19世紀フランスの医学史を特徴付ける二人の巨人、ベルナールとパストゥールについての判断をめぐる問題提起をなす発言であり、カンギレムの論文「19世紀における『医学理論』の終焉への細菌学の効果」は、この両者の差異が認識論的水準でいかに決定的に医学の成立条件を変質させたかを論じている。この論文と上記の疑義とは、単に医学史的事実からのフーコーの「アルケオロジー」への批判としてではなく、むしろ同じ「概念の哲学」者が、より厳密に科学史の作業を通じて、概念に対する認識者の脆弱さを確かめた仕事として読める。本論ではカンギレムの議論とフーコーの『知の考古学』の図式の対照を手がかりに、「概念の哲学」たるフランス認識論の問題設定とその実践を観察できる一場面としての、「19世紀医学」の意義を論じてみる。限定された二人の医学史上の登場人物をめぐる、カンギレムとフーコーのそれぞれの議論の目的、そして両者の間の異同を確認することで、フランス認識論と呼ばれる知的系譜の引き受けた課題を具体事例の中で跡付けるとともに、二人の哲学者を異なる道筋へと向かわせる思考上の差異についても探ることを試みたい。

松岡新一郎

阿部崇

田中祐理子

橋本毅彦